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入門編 · 中世から近代の入口へ · 第25

マキャヴェッリとモンテーニュ:近代精神の芽

16世紀の終わり、フィレンツェ郊外の小さな農地に追放された一人の男が、夜になると書斎にこもり、上等の服に着替えて古代の歴史家たちと「対話」していました。昼間は鶏や葡萄酒の値段で農夫と言い合っていたその男が、夜のページに書きつけていたのが、後に世界を震撼しんかんさせる君主論です。同じ世紀、フランスの片田舎の塔のなかでは、もう一人の男が自分自身の頭のなかをのぞき込み、「私は何を知るか」と書き出していました。

マキャヴェッリ:政治と道徳の分離

フィレンツェの外交官だったマキャヴェッリは、メディチ家の復権で職を失い、田舎に蟄居ちっきょさせられました。そこで彼は、もう失うものがない人間の冷徹さで、現実の政治を観察し直します。教会が説く「君主は徳をもって治めるべし」という伝統と、目の前で次々と暗殺と裏切りに倒れていく君主たちの姿。両者の落差から、彼は一つの覚悟を引き出します。

『君主論』の主張はこうです。君主は愛されるよりも恐れられる方がよい。約束は破ってもかまわない、ただし破ったと見えてはいけません。獅子ししの力ときつね狡知こうちを併せ持て。これは悪徳の推奨ではなく、政治という領域には政治固有のロジックがある、という発見でした。道徳と政治を切り離して考える、この身もふたもない態度が、近代政治学の出発点になります。

ヴィルトゥとフォルトゥーナ

マキャヴェッリの中心概念に、ヴィルトゥとフォルトゥーナがあります。フォルトゥーナは運命、ヴィルトゥはその運命に立ち向かう力量のことです。彼は運命を「氾濫はんらんする川」にたとえました。何の備えもなければすべてが流される。けれども堤防ていぼうを築き、流路を整える者には、運命も従わせることができる。

つまり政治とは、変えられない条件のなかで、変えられる部分にどれだけ力量を投じられるかという賭けです。古代ローマの将軍たちの事例を引きながら、彼は「成功する政治家とは、時代の風向きと自分の性格が偶然合致がっちした人だ」とさえ書きました。冷淡な現実主義の奥に、人間の自由への渇望かつぼうがにじんでいます。

モンテーニュ:私は何を知るか

海を越えてフランスでは、宗教戦争で同胞が殺し合う光景にみ疲れたモンテーニュが、塔の書斎に引きこもっていました。法服貴族の彼は、市民どうしが「正しい信仰」を奪い合って血を流す時代に、判断を停止する勇気を選びます。彼が天井のはりに刻ませた句、Que sais-je(私は何を知るか)。これは古代の懐疑主義を、自分自身の生き方の中心に据え直した宣言でした。

モンテーニュは断定を嫌い、自分の気分の移ろいや胃の調子、旅先で出会った野蛮人たちの風習までも書き留めました。確実な真理を握っていると信じる者ほど、他者を裁き、火炙ひあぶりにする。だから彼は、まず自分自身を観察し、自分のなかに住む矛盾を笑いながら受け入れることから始めたのです。

あなたが「これは絶対に正しい」と感じている信念を一つ思い浮かべてください。その確信は、どんな経験から来ていて、どこまで他人にも当てはまるでしょうか。

エッセーという発明

モンテーニュが自分の思索を綴った文章のかたちに、彼はエセーという名を与えました。原語の意味は「試み」。完成した体系ではなく、書きながら考え、考えながら書く、そのプロセスそのものを差し出す書き方です。エセーは近代散文の母胎ぼたいとなり、後のデカルト方法序説も、パスカルの断章も、この精神を引き継いでいます。

政治をめた目で見るマキャヴェッリと、自分自身を醒めた目で見るモンテーニュ。方向は反対のように見えて、二人は同じものを準備していました。神や教会という外側の権威に頼らず、人間の現実から思考を始めるという態度です。次章では、この近代的態度がついに自然そのものに向けられたとき、何が起きたのかを見ていきます。

中世から近代の入口へ · 第25