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入門編 · 19〜20世紀の哲学 · 第33

ドイツ観念論からヘーゲルへ

1789年のフランス革命は、ライン川の向こう側にいた若いドイツの知識人たちに、激しい興奮を呼び起こしました。チュービンゲン神学校に同期で学んでいたヘーゲルシェリング・ヘルダーリンの3人が、町外れに出て自由の樹を植えたという逸話が残っています。古い秩序が音を立てて崩れ、人間の理性が世界を作り変えうるかもしれません。そんな空気のなかで、カントが残した「物自体には届かない」という限界を、もう一度乗り越えようとする運動が始まります。

自我から世界へ:フィヒテとシェリング

最初に動き出したのがフィヒテでした。彼にとって出発点は、自分を自分として立てる「自我」の活動です。自我はまず自分を措定そていし、次にそれと対立する非我ひがを措定し、両者を統合することで世界を組み立てていく。物自体という外側の塊を消し、すべてを精神の自己展開として捉え直そうとしたのです。

続くシェリングは、フィヒテが自我に偏りすぎていると見て、自然のなかにも精神と同じ生き生きとした力を読み込みました。自然は眠れる精神であり、精神は目覚めた自然です。芸術は両者が和解する最高の場として位置づけられ、ロマン主義の感性と接続していきます。

ヘーゲルの弁証法

そしてこの流れを総合し、巨大な体系へと組み上げたのがヘーゲルでした。彼にとって思考の本質は、ある立場(テーゼ)が必ず自分のうちに矛盾を抱え、その否定(アンチテーゼ)を呼び起こし、両者がより高い次元で統合される(ジンテーゼ)という運動にあります。これが弁証法です。

重要なのは、この運動が頭の中だけで起きているのではなく、自然・歴史・社会・芸術のあらゆる場で進行している、と彼が考えた点です。世界そのものが矛盾を抱え、その解決として次の段階へ進む生き物のように描かれます。固定された対立は、より大きな全体のなかで一度のみ込まれ、新しい姿で立ち上がる。観念論はここで歴史の運動論へと変貌しました。

あなたが今かかえている対立や葛藤を一つ思い浮かべてください。それは本当にどちらかを選ぶしかない問題でしょうか。それとも、両方を含むより大きな視点が見つかりうるでしょうか。

精神現象学と主奴の弁証法

精神現象学は、人間の意識が感覚的確信から始まり、知覚・悟性・自己意識を経て、最終的に絶対知に至るまでの長い旅を描いた書物です。なかでも有名な「しゅの弁証法」では、二つの自己意識が出会い、認められたいという欲望から命がけの闘いに入る場面が描かれます。

勝者は主人となり、敗者は奴隷となります。けれども奴隷は労働を通じて物を形作り、自然を変え、自分自身の力を確認していく。一方で主人は奴隷の労働に依存して享受きょうじゅするばかりで、本当の自立を失っていく。やがて関係は逆転していく。この物語は、後のマルクスの階級闘争論や、20世紀の承認をめぐる政治哲学にまで響き続けます。次章では、ヘーゲルを若くして批判的に乗り越えようとした弟子の世代から始まる、新しい物語に進みます。