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専門編 · 哲学の主要分野 · 第79

形而上学:何が本当に存在するのか

プルタルコスは英雄伝のなかで、奇妙な問いを記録しています。アテネ人がテセウスの船を博物館に保存し、朽ちた板を一枚ずつ新しい板に交換し続けたとき、すべての板が入れ替わった船はまだ「同じ」テセウスの船と言えるのか。さらに古い板を集めて別の船を組み立てたら、こちらが本物なのか。本章ではこうした素朴な問いから、現代分析形而上学の核心争点へ降りていきます。

テセウスの船と物の同一性

プルタルコスの問いは、現代の形而上学者を今もなお悩ませ続けています。あなたが10歳の頃から30年たった今、体の細胞はほぼすべて入れ替わっています。同じ問題があなた自身に当てはまる。同一性が物質的構成によって決まるのなら、あなたはもはや昔の自分ではありません。けれども記憶は連続している。誰が「あなた」を作っているのでしょうか。

答え方は二つに分かれます。一方は、同一性を保つのは物体の構成要素ではなく、機能・形態・パターンの連続性だと考える立場です。古代アリストテレスの形相がこれに近い。もう一方は、複数の同一性条件があってよいとする多元主義で、私たちが「同じ船」と呼ぶ理由は文脈ぶんみゃくによって異なるとします。同一性は事実ではなく言語と実用に依存する、という現代的な見方です。

性質の存在論 — 「赤さ」はどこにあるか

目の前のリンゴは、赤さ・丸さ・甘さの束のように見えます。では「赤さ」そのものは存在するのか。アリストテレスはカテゴリー論で、独立に存在する第一実体と、それに帰属する性質を区別しました。リンゴは独立に存在するが、赤さはリンゴが赤いことなしには存在しえない、と。

これに対し、ヒューム以来の束理論たばりろんは、実体など要らず、性質の束で十分だと主張します。リンゴとは赤さ・丸さ・甘さの束以外の何ものでもありません。20世紀の分析形而上学では、トロープ理論が新たな選択肢を提示しました。それぞれのリンゴの「赤さ」は固有の個別性質(トロープ)であり、二つのリンゴが「同じ赤」を共有しているのではなく、似た赤を別々にもっているのだ、と。

可能世界 — クリプキとルイスの賭け

「もし第二次大戦が起きていなければ」と語るとき、私たちは何を語っているのでしょうか。ライプニッツに遡る可能世界の発想は、20世紀にソール・クリプキの様相論理によって精密化され、可能性と必然性の意味論を一新しました。現代の論理学者は、必然的命題を「あらゆる可能世界で真である命題」として定義します。

最も大胆な解釈はデイヴィッド・ルイスの様相実在論でした。可能世界は私たちの世界と同じくらい実在し、無数の世界が時空的に隔絶かくぜつして並列している、と。この主張は哲学界に衝撃を与え、論争を呼びました。穏健な代替案として、プランティンガらの現実主義は、可能世界を抽象的存在物として扱います。あなたが朝食に何を食べるか迷うとき、複数の可能世界が本当に存在しているのか、それとも頭の中の概念にすぎないのか。

三次元主義と四次元主義 — 時間を貫く物体

あなたという物体は、時間を「貫いて」存在しているのでしょうか。三次元主義は、あなたが任意の瞬間に完全に存在し、別の瞬間には別の状態で完全に存在する、と考えます。一方、四次元主義は、物体は空間的部分を持つように時間的部分も持つと主張します。今日の私と明日の私は、四次元的な「私」全体の異なる時間的じかんてきスライスに過ぎません。

四次元主義はアインシュタインの相対性理論と整合的だとして20世紀後半に支持を増やしました。だが直感的には奇妙です。「もう一度若かったあの頃に戻りたい」という願いは、四次元主義の枠組みでは不思議な意味になります。時間の本性をめぐるマクタガートの論争(A理論 vs B理論)も、この問いと絡み合いながら現代まで続いています。次章では、何が存在するかという問いを「心」へと向ける、心の哲学に進みます。