専門編 · 東アジアの深層 · 第101章
京都学派:絶対無の哲学
1911年、第四高等学校教授の西田幾多郎は、初めての本『善の研究』を出版しました。「経験するということは、事実そのままに知るの意である」。難解な序文で始まるこの書物は、当時の哲学界では無名の地方教授の処女作にすぎませんでした。しかし約100年後、これは「日本初の独自の哲学」として西洋哲学者にも読まれる古典となります。本章では京都学派の系譜を辿ります。
西田幾多郎 — 純粋経験から絶対無へ
1870年石川県生まれの西田は、若い頃から坐禅を組み、参禅で「無位の真人」「無の境地」を体得していました。同時に東京帝国大学で西洋哲学を学び、ジェイムズ『心理学原理』、ベルクソン『時間と自由』に深い影響を受けます。これら東西の経験を融合させたのが、『善の研究』の中心概念「純粋経験」でした。
純粋経験とは、主観と客観が分離する以前の、直接的な経験そのものです。「色を見、音を聞く刹那、まだこれを外物の作用とも、自分が感じているとも考えない、これが純粋経験の状態である」。西田はこの発想を半世紀かけて深め、晩年の「絶対無の場所」「絶対矛盾的自己同一」に至ります。物事は他のものとの関係のなかでのみ存在するが、そのすべてを包む場として「無」がある。
田辺元 — 「種の論理」と懺悔道
西田の弟子で京都帝国大学の同僚となった田辺元(1885-1962)は、1930年代に「種の論理」を発展させました。個(個人)と類(人類)の中間にある「種」、すなわち民族・国家・文化を哲学的に位置づけようとしたこの構想は、当時の国家主義的状況のなかで「東亜共栄圏」のイデオロギー的擁護に近接します。
敗戦後、田辺は1946年の懺悔道としての哲学で、自分の戦時の哲学的立場を全面的に懺悔しました。哲学が戦争を支えてしまったことへの責任を、彼は誰よりも厳しく問いました。「絶対無への懺悔」を通じてのみ、哲学は再生しえます。この戦後の自己批判は、日本の知識人が果たすべき責任の一つの典型として、今も読まれます。
西谷啓治 — 虚無の宗教哲学
西田・田辺の系譜を継いだ西谷啓治(1900-1990)は、1961年の『宗教とは何か』で京都学派の独自性を世界に届けました。彼が問うたのは、近代ヨーロッパが直面したニヒリズムを、東洋の「空」「無」の伝統がどう応答しうるかという課題です。ニーチェ、ハイデガー、エックハルト、龍樹、道元を縦横に往還しながら、「実存的空」の地平を切り開きました。
西谷の特異な定式が「世界の自然性のもっとも深い根底における虚無」です。ヨーロッパのニヒリズムは「神の死」の後に開く自己の無意味さの絶望ですが、東洋の「空」は同じ場所からむしろ自由と慈悲が開かれる場所として描かれる。西谷の英文著作は西洋哲学者・神学者からも読まれ、東西哲学対話の最重要拠点の一つとなりました。
戦時責任と現代の再評価
京都学派は戦後長らく、戦時中の「世界史的立場と日本」座談会(1942年)と「近代の超克」(1942年)への関与を批判されてきました。高山岩男・高坂正顕・西谷啓治・鈴木成高ら第二世代の哲学者が、太平洋戦争を東亜の世界史的解放として正当化する議論を展開した事実は、消えません。
21世紀になって、京都学派は再び国際的に読まれ始めています。ジェイムズ・ハイジック、ブレット・デイヴィスらの英語圏の研究者が、西田・田辺・西谷を比較哲学のパートナーとして真摯に読み込み、戦時責任の問題と独自の哲学的洞察を分けて評価する作業が進んでいる。次のセクションでは、テーマを切り替え、現代社会の応用倫理に進みます。
東アジアの深層 · 第101章