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専門編 · 近代の巨人 · 第61

カント:道徳法則の発見

1788年、64歳のカント実践理性批判を出版します。第一批判が認識の限界を引いたとき、神も自由も魂も知ることはできなくなりました。けれども実践の領域では、自由はむしろ前提されなければなりません。本章では、認識から行為へと舞台を移したカントが、結果や感情から独立した道徳法則をどう打ち立てたかを四つの段階で追います。

1785年の手引き — なぜ義務から始めるか

『実践理性批判』の三年前、カントは小冊子道徳形而上学の基礎づけを発表しました。難解な大著の前に、一般読者向けの予備的な見取り図を作ろうとしたのです。冒頭の命題は印象的です。「世界の中で、いやそもそも世界の外でさえも、無制限に善と認められるものは、善意志のほかには考えられない」。才能や財産や幸福は、それを用いる意志が悪ければ害悪に転化てんかしえます。

カントは行為が道徳的価値を持つのは「義務に基づいて」なされるときだけだ、と主張します。同情から困っている人を助けるのは美しいが、道徳的価値はそこに完全には宿りません。理性が義務として命じるからこそ助ける、という構造のなかで初めて道徳法則が立ち上がる。直後の世代のシラーは「義務から友を助ける私は、徳が足りないのではないか」と皮肉りましたが、カントの狙いは情緒の否定ではなく、道徳の根拠を傾向性けいこうせいに依存させない点にありました。

普遍化テストの実例 — 四つの古典的事例

定言命法の根本定式「あなたの行為の格率かくりつが同時に普遍的法則となることを意志しうるように行為せよ」を、カントは『道徳形而上学の基礎づけ』のなかで4つの事例で試してみせます。絶望から自殺を考える者、返すつもりなく金を借りようとする者、自分の才能を伸ばさずなまけたい者、困っている他人を見ても助けたくない者の四つです。

たとえば偽りの約束の格率は、普遍化された瞬間に約束という制度そのものを破壊するため、論理的に意志しえません。怠惰たいだの格率は論理的に矛盾しないが、理性的存在者として一貫して意志することはできません。論理的な「意志しえなさ」と「一貫して意志しえなさ」を区別したこの分析は、現代の倫理学が普遍化可能性を論じる際にいまだに参照される枠組みです。

目的の国と人格の尊厳

定言命法には複数の表現があります。第二定式は「人間性を、あなた自身の人格においても他のあらゆる人格においても、つねに同時に目的として扱い、決して単に手段としてのみ扱うな」というもので、人格の尊厳を倫理の中心に据えました。植民地と奴隷貿易が国家の経済を支えていた18世紀末に、人間の代替不可能だいたいふかのうな価値をここまで明示的に語った哲学者は他にいません。

第三定式は、すべての理性的存在者が立法者として参加する「目的の国」の構想に至ります。重要なのは、この道徳法則が外部から課されたものではなく、理性が自分自身に与える法則だという点です。意志の自律こそが自由であり、傾向性に従うことは他律たりつにすぎません。「私の上なる星空と、私の内なる道徳法則」という『実践理性批判』の有名な結語は、彼の墓碑銘にも刻まれています。

コンスタン事件からロールズへ

1797年、フランスの政治思想家バンジャマン・コンスタンはカントを批判する論文を発表しました。殺人犯に追われた友人がうちに隠れているとき、犯人に「友人はここにいるか」と尋ねられたら嘘をついてはならないのか、と。カントの答えは「嘘をついてはならない」でした。例外を一つでも認めれば、義務の絶対性は崩壊する。多くの読者がこの厳格さに困惑してきましたが、これはカント体系の論理的帰結です。

それでも、結果に左右されない人格の尊厳という発想は、20世紀の人権思想の哲学的基礎となりました。ロールズ正義論は「無知のヴェール」の思考実験を通じて、まさに普遍化テストの現代版を再演しています。ハーバーマスのコミュニケーション的行為理論、コースガードの構成主義倫理学に至るまで、定言命法は功利主義との対決軸を提供し続けています。次章では、認識でも道徳でもない第三の領域、美と目的の哲学に進みます。