専門編 · 近代の巨人 · 第62章
カント:美と目的の哲学
1790年、フランス革命のただ中、66歳のカントは『判断力批判』を世に問います。第一批判が認識を、第二批判が道徳を扱った後、両者の間に横たわる深い溝を埋めるために残された場所が、美と自然の目的論でした。本章はこの最後の批判書を、革命の年に書かれた書物として読み直します。
美的判断と無関心的な快
「このバラは美しい」という判断は、どこから来るのか。カントはこれを、概念に基づく認識判断とも、道徳的判断とも区別される独自の判断として分析します。鍵は「無関心的(interesselos)」な快です。バラを所有したい欲求や、何かに役立てたい関心から離れて、対象の現れそのものを眺めるとき生じる快こそが、美の経験を支えている。
さらに美的判断は、概念によらないにもかかわらず普遍的同意を要求する点で、単なる「快適」とは異なります。私が「これは美しい」と判断するとき、暗黙に他者にも同意を求めている。カントはこの構造を「共通感覚(sensus communis)」と呼びました。趣味は孤独な内面の出来事ではなく、他者との潜在的対話のなかで成立する。後年アーレントが政治的判断力の核心と見たのは、この「他者の立場で考える」能力でした。
崇高の経験 — 感性が挫折する瞬間
美と並ぶもう一つの主題が崇高(das Erhabene)です。荒れ狂う海、そびえ立つ山脈、星空。これらは形式的な調和ではなく、感性を圧倒する巨大さや力として現れます。それでも私たちは崇高を経験する。カントの説明はこうです。感性的構想力が対象を捉えきれず挫折する瞬間、自分の中の理性的能力、つまり感性を超えた無限性の理念に達する力が呼び覚まされる。
崇高は対象の側にではなく、対象を捉えそこなう主観の動揺と、それを超えていく理性の力との葛藤のうちに位置づけられました。これは18世紀末ロマン主義の感性を哲学的に基礎づけ、シェリングからショーペンハウアーへ、さらに20世紀のリオタールがポストモダンの感性論の柱として再発見するに至ります。「示しえないものをそれでも示そうとする芸術」というリオタールの定義は、この崇高分析の遠い末裔です。
天才と自然の合目的性
芸術論でカントは「天才(Genie)」概念を打ち立てます。天才とは規則を学んで作品を作る職人ではなく、自然が芸術に規則を与える媒介となる人、つまり既存の規則に還元できない新しい範例を生み出し、それが結果的に他者の手本となる人物です。これは後の独創性崇拝の源流であると同時に、芸術を機械的模倣から区別する哲学的根拠となりました。
後半の「目的論的判断力批判」では、有機体に見られる自己組織的な秩序が論じられます。生物は機械論だけでは説明しきれず、各部分が全体の目的に資する「自然の合目的性」を仮定せざるをえません。ただしこれは認識論的主張ではなく、判断力の規制的原理にとどまる、という慎重な留保がつきます。1859年のダーウィン『種の起源』以前に、カントは目的論を残しつつそれを認識から切り離すという稀有な綱渡りを成し遂げていました。
革命の年の批判書、アーレントへの遺産
『判断力批判』が出版された1790年は、フランス革命が始まって翌年でした。革命に対するカントの態度は両義的で、観念としては支持しながら実力行使には嫌悪を示しました。彼が最も熱烈に語った革命的主張は、ある奇妙な観察です。革命を起こしている当事者よりも、それを離れて見守る観客の方が、世界史的な意味を判断できる、と。判断力は当事者性ではなく、距離をとった観想のうちに宿るのです。
ハンナ・アーレントは晩年の未完の「カント政治哲学講義」で、政治的判断力の理論的源泉を第二批判ではなく第三批判に求めました。義務の演繹からは政治の判断は出てきません。判断は事例に向きあい、他者の立場で考え、共通感覚に訴えるものでなければならない、と。三つの批判のうちもっとも開かれた書物として、『判断力批判』は今も新たな読みを誘い続けています。次章では、カントの遺産を一気に体系化したヘーゲルへ進みます。
近代の巨人 · 第62章