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人

『人知原理論』

じんち げんりろん

近代

バークリーの認識論

哲学

この著作について

アイルランドの哲学者ジョージ・バークリーが二十代で刊行した主著で、「存在するとは知覚されることである」という挑戦的命題を体系的に展開した観念論の古典。

【内容】

序論で抽象観念の存在が批判され、続く本論で物質的実体という「知覚から独立した存在」を想定する立場が徹底的に解体されていく。バークリーによれば、色・音・味などの感覚的性質はすべて精神のうちに現れる観念であり、それが「外に在る」と感じられるのは神が秩序立てて観念を精神のうちに生起させるためである。机も木々も太陽も、私たちが知覚していないあいだに消えるわけではなく、ほかの精神、究極的には永遠の精神である神のうちに存続するとされる。本書の後半では、懐疑主義と無神論への反論、自然学と数学の検討、魂と神をめぐる議論が順次示される。

【影響と意義】

ロックの経験論を徹底化することで物質的実体を消去し、ヒュームの懐疑論の前提を用意して、カントにも影響を及ぼした。英国経験論の流れではロックとヒュームのあいだに位置し、後世にはフッサールとの類似を指摘する論者もいる。

【なぜ今読むか】

VRや生成AIで「現実とは何か」が揺らぐ時代に、常識に真っ向から挑む本書の議論はかえって切実に響く。自分の知覚と世界の存在の関係を原点から考え直す思考訓練として、短くても密度の濃い経験になる。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書はバークリーが二十代半ばの1710年に刊行した小品で、序論と本論からなる。序論ではまず、抽象観念の存在が槍玉に挙げられる。ロックは「三角形一般」「人間一般」のような抽象観念があると考えたが、バークリーはそれを否定する。心のなかに思い浮かぶ三角形は、必ず鋭角か直角か鈍角のどれかであり、特定の三辺を持つ具体的な像である。「すべての三角形に共通する三角形そのもの」を心は決して描けない、と彼は述べる。哲学者を惑わせる抽象観念を取り除けば、形而上学の難問の多くは消えるはずだ、というのが冒頭の宣言である。

本論に入ると、いきなり有名な命題が掲げられる。存在するとは知覚されることである。机、リンゴ、太陽は、私たちが見て、触れて、味わうところの感覚的性質の束以外の何物でもない。それらの感覚から独立した「物質」という基体は、考えようとしても思い描けない。色を持たず広がりと形だけを持つ物質を思い描いてみよ、と彼は読者に挑む。想像できないものは観念ではなく、観念でないものについて意味のある主張はできない、というのが議論の骨格である。

ここで自然と疑問が生じる。誰も見ていない部屋の机は消えてしまうのか。バークリーの答えは独特である。机は存在し続ける、なぜなら神が常にそれを知覚しているからだ。世界の秩序と持続性は、神という無限の精神によって支えられている。これは敬虔な信仰告白であると同時に、観念論的形而上学の核でもある。

続いて、想定される反論への応答が並ぶ。常識との衝突、夢と現実の区別、科学法則の地位、距離や運動の知覚、空間と時間の問題。バークリーは「自分の議論はむしろ常識を救う」と主張する。我々は最初から色や音や匂いを世界として経験しているのであり、その背後に「物質」を仮定する哲学者こそ常識から離れている、と彼は言うのである。読み終えると、当たり前の世界が一度蜃気楼のように揺らぎ、別の角度から立ち上がってくる経験が残る。

著者

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