動
『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』
どうぶつを おう、ゆえに わたしは どうぶつで ある
ジャック・デリダ·現代
デカルト以来の人間中心主義を脱構築するデリダの動物論
動物倫理脱構築フランス現代思想
この著作について
ジャック・デリダ(1930〜2004)が1997年のスリジー国際コロックで行った長大な講演を中心にまとめられた、晩年の動物論の代表作(仏語原書2006年、編集マリ=ルイーズ・マレ)。
【内容】
冒頭、浴室で全裸の自分を見つめる猫の視線をめぐる省察から始まる。動物は私を見る、しかし哲学はその視線を見てこなかった。デリダはデカルトの動物機械論からカント、ハイデガー、レヴィナス、ラカンまで、動物を「言葉なき存在」「世界貧困的な存在」として扱ってきた西洋哲学の流れを「カルノファロゴセントリスム(肉食=ロゴス中心主義)」として批判する。タイトルにあるデカルト「我思う、ゆえに我あり」のもじりは、人間が動物を追跡し、命名し、屠殺してきた歴史を踏まえて、「私は動物に追われ、動物そのものでもある」という両義性を提示する。動物を単数形の「動物」と一括りにする暴力そのものを問い直し、無数の異なる動物との応答可能性を考える。
【影響と意義】
動物倫理、ポストヒューマニズム、動物研究の哲学的基礎として参照され、シンガー的功利主義とは別の角度から動物を擁護する思想として読まれている。
【なぜ今読むか】
動物を「権利」や「苦痛」の枠だけで論じるのではなく、視線・応答・名づけといった関係性から問い直す視点は、ペットとの共生から畜産産業まで、現代の動物観すべてに切り込む。
著者
この著作で扱う問い
関連する哲学者と話してみる
