『法の概念』
ほうのがいねん
H・L・A・ハート·現代
20世紀法哲学の最高峰。第一次規則と第二次規則の理論
この著作について
オックスフォード大学のハーバート・ライオネル・アドルファス・ハートが1961年に公刊した、20世紀法哲学の金字塔(原題『The Concept of Law』)。
【内容】
ハートはオースティンの命令説(法とは主権者の命令であるとする立場)を批判し、法を「第一次規則(primary rules)」と「第二次規則(secondary rules)」の組み合わせとして再定義する。第一次規則は人の行為を直接命令・禁止する規則(殺人禁止など)。第二次規則は第一次規則の認識・変更・適用を規律するメタ規則であり、特に「承認の規則(rule of recognition)」が法体系の頂点に位置する。これによって法は強制ではなく規範性を持つ。さらに本書は法と道徳の関係を論じ、法実証主義の立場から両者の概念的分離を擁護しつつ、ナチス時代の「不正な法」問題(ハート=フラー論争)にも応答する。
【影響と意義】
ロナルド・ドゥオーキン、ジョセフ・ラズ、ジュリー・ディキンソンらが本書をめぐって法哲学の主要争点を形成した。日本でも長尾龍一、矢崎光圀らによる訳・研究を経て法哲学の最重要文献となっている。
【なぜ今読むか】
法とは何か、法はなぜ従うべきか、悪法もまた法かといった根本問題を考える出発点。AI法・国際法など現代の課題も本書の枠組みから始まる。
どの訳で読むか
初版への批判に答えた後記まで一冊で読みたいなら、第3版を訳した長谷部訳(ちくま学芸文庫)になる。矢崎監訳はA5判の単行本で、日本語版への序文と訳者解説がつくが、後記は入っていない。訳語も違い、第5章の題は長谷部訳で「一次ルール、二次ルールの組み合わせとしての法」、矢崎監訳で「第一次的ルールと第二次的ルールの結合としての法」となっている。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は全10章からなり、1994年の第2版から後記が加わった。第1章は法理論の困惑から入り、くり返し現れる三つの論点を立てる。脅しを背景にした命令と法はどう違うのか。法的な責務と道徳的な責務はどう違うのか。ルールとは何で、法はどこまでルールの問題なのか。
第2章から第4章は、法を主権者の強制的な命令とみる説を検討し、その弱点を一つずつ示していく。出発点は、銀行で金を出せと脅す強盗の場面である。法には、遺言や契約のように人に権能を与えるものもある。第4章は、服従の習慣という考えで法の継続や永続をどこまで説明できるかを問い、習慣とルールを区別する。教会で帽子を取らない人が責められるように、ルールから外れた振る舞いは誤りとみなされる。後半の二つの節は、立法権への法的な制限と、立法府の背後の主権者を扱う。
第5章で著者は新たな出発を宣言する。強盗に従う者は、従わざるをえない立場にあっても、従う責務を負ってはいない。責務を理解する鍵として、ルールを自他の行動の基準として受け入れる内的な視点が持ち出される。責務を課すルールしかない社会は、何がルールか不確かで、ルールを変えられず、違反への対処も効率が悪いという三つの欠陥を抱える。それを補うのが承認、変更、裁判のルールだ。第6章は法の妥当性を論じ、法体系が存在するには、市民が一般に法に従い、公職者が承認、変更、裁判のルールを公の基準として受け入れていればよいとする。最後の節は法体系の病理を扱う。
第7章は法の開かれた構造から入る。ルールの言葉には、意味の定まった中心と、裁判官が判断を選ばねばならない周辺とがある。ルール懐疑主義のさまざまな形を検討し、裁判所の決定は最終的だが誤りがないわけではないと論じる。試合の得点は記録係の言うとおりになるが、記録係も得点のルールをできるかぎり正しく当てはめる務めを負う、という例が使われる。第7章の最後の節は承認のルール自体の不確定性を扱う。第8章は正義の原則と道徳的責務を扱い、第9章は自然法論と法実証主義の対立に進む。人間の傷つきやすさ、おおよその平等、限られた利他心、限られた資源、限られた理解力と意志の強さという自明な事実から、人が生き延びようとする限り欠かせない自然法の最小限の内容を導く。第9章の最後の節は法的妥当性と道徳的価値を論じる。
第10章は国際法を取り上げる。国際法が法であることへの疑いを退けもせず、そのまま認めもしないと断ったうえで、二次ルールを欠く国際法を、未発達な段階の法に近いものとして描く。後記は、ドゥオーキンをはじめとする初版への批判に答えるために書かれた。