
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン
Ludwig Wittgenstein
1889年 — 1951年
言語の限界を探究した二つの哲学の巨人
この人物について
生涯で二つの革命的哲学を生み出し、自ら前期思想を否定してみせた20世紀最大の哲学者の一人。
【代表的な思想】
■ 前期
写像理論(『論理哲学論考』):言語は世界の論理的構造を写し取る「像」であるとし、命題は事態の論理的描像であると論じた。語りうることは明晰に語られねばならず、「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と結んだ。
■ 後期
言語ゲーム(『哲学探究』):自らの前期思想を根本的に否定し、言葉の意味はその使用の文脈(言語ゲーム)の中で決まるとする新たな言語観を展開した。意味の本質を求めるのではなく、言語の多様な使用法を記述すべきだとした。
■ 私的言語論と規則遵守
自分だけが理解できる「私的言語」は不可能であることを論証し、規則に従うとはどういうことかという根本問題を提起した。哲学の課題は問題を解決するのではなく解消することだと考えた。
【特徴的な点】
ラッセルの論理学から出発しつつ、師を超える独自の哲学を二度にわたって構築した。フレーゲやラッセルの論理主義とも、フッサールの現象学とも異なる独自のアプローチで言語と思考の関係を探究した。
【現代との接点】
言語哲学、心の哲学、認知科学、人工知能の意味理解問題など、ウィトゲンシュタインの問いは現代の哲学・科学の最前線で参照され続けている。
さらに深く
【思想の形成】
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは1889年、ウィーンの大富豪で鉄鋼王と呼ばれた家に生まれた。ブラームスやマーラーも出入りする文化的環境で育ち、工学をベルリンとマンチェスターで学んだ後、数学基礎論への関心からフレーゲを訪ね、紹介でケンブリッジのラッセルのもとに移った。第一次世界大戦には志願兵として参戦し、前線の砲火のなかで手帳に綴った思索を後に『論理哲学論考』として結晶させる。この一冊で哲学の問題は本質的に解決されたと信じた彼は、しばらくオーストリアの田舎で小学校教師をつとめ、父の遺産は兄弟や芸術家に譲って質素な生活を選んだ。1929年にケンブリッジへ戻って以降は、自らの前期哲学を根底から問い直す後期哲学を展開し、1951年にケンブリッジで没した。
【思想的意義】
前期の『論理哲学論考』は「言語は世界の論理的像である」という写像理論を中心に据える。命題は事態の論理的な描像であり、世界は事実の総体として、言語はその鏡として対応する。ここから「語りうることは明晰に語らねばならず、語りえぬものについては沈黙しなければならない」という有名な結論が導かれた。しかし後期の『哲学探究』はこの前提そのものをひっくり返す。語の意味はその「使用」にあり、言語は生活形式と結びついた多様な「言語ゲーム」の集合である。「私的言語」は不可能であり、規則に従うこと自体が共同の実践に支えられている。哲学の仕事は形而上学的な主張を築くことではなく、言葉の誤用から生じる知的混乱を解消する「治療」だとされた。
【影響と継承】
前期の『論考』はシュリックやカルナップら論理実証主義のウィーン学団に受容され、検証可能性原理を軸とする科学哲学の骨格を与えた。同時にラッセルの記述理論と並ぶ分析哲学初期の金字塔となった。後期哲学はオースティンやサールの言語行為論、クリプキの規則遵守懐疑論、ダメットの意味の理論を刺激し、ライルやアンスコムの心の哲学にも直接流れ込んだ。認知科学における意味理解、人工知能における「記号接地問題」、文化人類学における社会実践の理解など、言語ゲームや生活形式の概念は現代の隣接諸学に広く浸透している。
【さらに学ぶために】
『論理哲学論考』は番号付きの短命題からなり、野矢茂樹《のやしげき》訳(岩波文庫)が読みやすい。『哲学探究』は鬼界彰夫《きかいあきお》訳(講談社学術文庫)が定評ある邦訳である。入門には鬼界彰夫『ウィトゲンシュタインはこう考えた』が平易で勧められる。



