入門編 · 中世から近代の入口へ · 第24章
ルネサンスと宗教改革
15世紀のフィレンツェ、メディチ家の庇護のもとに集まった工房では、職人たちが古代彫刻の断片を写生し、若いミケランジェロが裸の人体の比率を指で測っていました。少し前まで「人間の身体は朽ちる肉のかたまり」と説かれていた街で、人々は今、その身体の美しさそのものを神の作品として描き直し始めていたのです。何が起きたのでしょうか。
古典の再発見と人間の尊厳
きっかけの一つは、忘れられていたギリシャ・ローマの古典が再び読まれ始めたことでした。ビザンツ帝国の崩壊で東方から学者たちが写本を持って西へ逃れ、プラトンの対話篇やキケロの修辞学が原典で読めるようになります。神学一色だった大学の外で、詩人ペトラルカが古代ローマの手紙を愛読し、ラテン語で個人的な日記を書き始めました。
こうした動きは人文主義と呼ばれます。人間を罪深い被造物としてだけ見るのではなく、ことばと教養によって自分自身を形づくる存在として捉え直す試み。古典は、その手本を中世の神学とは別の場所から提供してくれました。
ピコ・デッラ・ミランドラとエラスムス
1486年、二十代のピコ・デッラ・ミランドラは『人間の尊厳について』のなかで衝撃的なことを書きました。神は人間に固定された場所を与えなかった、人間は自分の自由意志によって獣にも天使にもなりうる、と。ほかの被造物が定められた本性に縛られているのに対し、人間だけが自分自身の彫刻家であるというこの宣言は、近代的な自由観の原風景になっていきます。
オランダのエラスムスは、もう少し皮肉な角度から人間を見つめました。『痴愚神礼讃』のなかで彼は、聖職者の腐敗、学者の自惚れ、戦争に酔う王侯を、痴愚の女神に語らせて笑い飛ばします。古典の知性をもってキリスト教を内側から浄化しようとしたエラスムスの仕事は、次に来る嵐を準備していました。
ルター・カルヴァンの宗教改革
1517年、ヴィッテンベルクの修道士ルターが、教会の門に九十五の論題を掲げました。免罪符を買えば罪が赦されるという当時の慣行に対し、救いは金で買えるものではない、と彼は突きつけたのです。聖書だけが信仰の基準であり、信仰のみによって人は義とされる。グーテンベルクの活版印刷に乗ったこの主張は、数ヶ月でヨーロッパ中に広がりました。
ジュネーヴで改革を進めたカルヴァンは、救われる者があらかじめ定められているという予定説を打ち出します。一見冷たいこの教えは、信徒に「自分が選ばれているしるし」を日常の労働と禁欲のうちに探させることになり、後の社会学者ヴェーバーが指摘するように、近代資本主義の精神とも結びついていきました。
あなたが「自分の人生は自分で選び取っている」と感じるとき、その自由はどこから来ているのでしょうか。誰かに与えられたものでしょうか、それとも自分で勝ち取ったものでしょうか。
神中心から人間中心へ
人文主義者たちは古典を通じて人間の尊厳を再発見し、宗教改革者たちは個人と神とのあいだに教会という仲介を立てない直接の関係を打ち立てました。方向は違っても、二つの運動はともに「中世のキリスト教世界の単一の屋根」を解体し、一人ひとりが自分の理性と良心で世界に向き合う、という近代的な人間像を準備していきます。次章では、この転換期を生きた二人の鋭い観察者、マキャヴェッリとモンテーニュに会いに行きます。
中世から近代の入口へ · 第24章