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入門編 · もう一つの声 · 第47

日本の近代思想:西周から京都学派へ

1862年のオランダ、ライデン大学。幕府が派遣した留学生のなかに、津和野つわの藩出身の三十歳すぎの青年がいました。彼はそこでカントミルの講義を聴き、ヨーロッパ語の philosophy をいかに日本語に置き換えるかを思い悩んでいました。彼の名は西周にしあまね。やがて彼が選んだ訳語、哲学の二字が、東アジアの知の風景を塗り替えることになります。

江戸の思想:徂徠・宣長・蘭学

西周の前史として、二百数十年に及ぶ徳川の平和が用意した分厚い思想層を見ておく必要があります。儒学では荻生徂徠おぎゅうそらいが、朱子学しゅしがくの道徳主義を退け、古代中国の制度や言語そのものに立ち返る古文辞学こぶんじがくを唱えました。これは聖人の時代の制度的客観性を取り戻そうとする、近代的な歴史意識の萌芽でもありました。

国学では本居宣長もとおりのりながが三十年以上を費やして古事記伝を完成させ、漢意からごころを排した日本固有のもののあはれの美学を提示しました。一方、長崎では蘭学らんがく者たちが解剖書や天文書を翻訳し、ヨーロッパの自然科学を黙々と移植していました。明治維新は、この三層の蓄積の上に始動したのです。

西周と「哲学」の誕生

西周は philosophy の訳語として最初は希哲学きてつがく賢哲けんてつを希求する学を考えました。やがて希を落とし、哲学の二字に落ち着きます。理性、主観、客観、概念、命題、定義、帰納、演繹えんえき。今日私たちが当たり前に使う哲学用語の多くは、西周と同時代の翻訳者たちが格闘の末に生み出したものです。

訳語は単なる言葉の置き換えではありません。新しい語彙は新しい思考の枠組みを呼び寄せ、旧来の漢学的な思惟しいと摩擦と融合を起こしていきます。西周の主著百一新論は、教えと法を分離し、宗教と政治を区別する近代的国家観の素描でもありました。福澤諭吉ふくざわゆきちと並び、西周は明治日本の知的フォーマットを設計した人物の一人です。

西田幾多郎の純粋経験

翻訳と紹介の段階を超え、日本ではじめて世界水準の独創的哲学書を書いたのが西田幾多郎にしだきたろうです。1911年に出版された善の研究は、青年期の禅体験と西洋哲学の徹底的な格闘から生まれた、まったく新しい出発点でした。

西田が立てた根本概念は純粋経験じゅんすいけいけんです。主観と客観、自我と世界が分かれる以前の、まったき直接の経験。私たちが美しい音楽に没頭する瞬間、画家が筆を走らせる瞬間、そこには見る者と見られる者の区別がまだ生まれていません。デカルト以来の主客二元論を内側から解体しようとするこの試みは、後に絶対無ぜったいむの場所の哲学へと深化していきます。

京都学派と東西の対話

西田を中心に京都帝国大学に集った京都学派は、田辺元たなべはじめ西谷啓治にしたにけいじ三木清みききよしらを輩出し、仏教と西洋哲学の本格的対話の場を切り開きました。空、無、絶対無といった東洋的概念で、ハイデガーヘーゲルの問題圏を内側から問い直そうとしたのです。

戦時下、京都学派の一部は近代の超克の議論に巻き込まれ、戦後には厳しい歴史的批判にもさらされました。それでもその知的遺産は、戦後の哲学者によって継承され、いまなお比較哲学、宗教哲学、現代思想の重要な参照点であり続けています。私たちの旅は、ここで西洋と東洋を行き来しながら現代の入り口に立ちました。次の第5部では、AI、環境、格差、死といった、いま私たち自身が直面する問題に、これまで巡ってきた哲学の伝統がどう応えるかを共に考えていきます。