フィロソフィーマップ

入門編 · もう一つの声 · 第45

インドの哲学的伝統

紀元前千年紀のガンジス川流域。森の奥の隠者いんじゃの小屋で、白衣の師と弟子が長い問答を交わしていました。なんじは何ものか、宇宙の根本とは何か、死の彼方かなたには何があるのか。問いはそのまま千数百年後のヨーロッパ哲学にも届く深さを持っています。インドはブッダだけを生んだ土地ではなく、極めて多様な哲学的潮流が並走してきた、驚くべき思索の大陸でした。

ヴェーダとウパニシャッド:宇宙と自己

インド哲学の最古層をなすのはヴェーダ文献群です。讃歌さんか祭祀さいしの集成として始まったこの聖典は、紀元前8世紀頃から末尾にウパニシャッドと呼ばれる哲学的対話篇を加え始めました。ここでインドの思惟しいは、儀礼ぎれいの効果を問う段階を超えて、実在そのものへの問いに踏み込みます。

ウパニシャッドの中心命題は梵我一如ぼんがいちにょ、ブラフマンとアートマンの一致です。宇宙の根本原理ブラフマンと、個体の最深層の自己アートマンは、本質において同じものです。一見素朴に見えるこの命題は、認識する主体と認識される世界の二元性を内側から解体する、徹底した一元論的洞察でした。

六派哲学と不二一元論

紀元後しばらくしてインドのバラモン系哲学は、六派ろっぱ哲学として体系化されます。論理学のニヤーヤ、自然哲学のヴァイシェーシカ、二元論のサーンキヤ、実践のヨーガ、祭祀解釈のミーマーンサー、ウパニシャッド注釈のヴェーダーンタ。それぞれが緻密な論理体系を発展させ、相互に批判と借用を重ねていきました。

そのヴェーダーンタを高度に体系化したのが、8世紀のシャンカラです。彼の不二一元論ふにいちげんろんは、世界の多様性は無明むみょうによって生じる仮構かこうであり、真実においてはブラフマンのみが実在するという、徹底した一元論的形而上学でした。スピノザの汎神論やシェリングの絶対者哲学が連想されますが、シャンカラはそれより千年以上前にこの構想を磨き上げています。

ジャイナ教の倫理

ブッダとほぼ同時代に、もう一人の偉大な精神的指導者がいました。マハーヴィーラを中心とするジャイナ教の祖師たちです。ジャイナ教の世界観は徹底した多元論で、霊魂はそれぞれ独立した実在として永遠に存在するとされます。そして実践面では、極端なまでの不殺生ふせっしょうと苦行が説かれました。

ジャイナ教徒は虫を踏まないように歩き、口にマスクをして微生物の吸入を避け、土を耕すことすら殺生として戒めます。この徹底したアヒンサー、すなわち非暴力の倫理は、二十世紀にガンディーの独立運動を通して世界史的な力に変わり、キング牧師公民権運動にも引き継がれていきました。

比較哲学の地平

インド哲学は宗教と哲学が分かちがたく絡み合っている点で、近代以降の西洋哲学とは異なる風貌ふうぼうを持ちます。しかし、自己と世界、認識と存在、解脱げだつと倫理という根本問題に対し、インドの思索はギリシアやドイツに勝るとも劣らない論理的精密さで取り組んできました。

十九世紀以降、ショーペンハウアーはウパニシャッドを愛読し、ハイデガーは禅とともにインド思想にも目を向け、現代では認知科学者たちが瞑想とアートマン論を結び直そうとしています。比較哲学という分野は、もはや異文化への異国趣味ではなく、人類の思考の地図を描き直すための真剣な共同作業になっています。次章では、その大伝統が海を越え、日本という辺境でどう独自の花を咲かせたかに目を向けます。