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入門編 · もう一つの声 · 第44

仏教哲学の展開:縁起と空

紀元2世紀の南インド。学僧がくそうたちが集まる僧院そういんの片隅で、一人の人物が筆を走らせていました。彼は当時の仏教内部で精緻化されていた実在論的な傾向を、根本から揺さぶり直そうとしていたのです。その人物の名は龍樹りゅうじゅ、サンスクリットでナーガールジュナ。彼の手で大乗仏教だいじょうぶっきょうはその哲学的深みを獲得します。

縁起:すべては相互依存する

ブッダが説いた根本洞察の一つに縁起えんぎがあります。これあれば、かれあり。これ生ずれば、かれ生ず。あらゆる事象は、それ単独で成立するのではなく、無数の条件が寄り合って一時的に現れているにすぎないという見方です。

雨が降るためには雲があり、雲があるためには海の蒸発があり、その蒸発のためには太陽があり、太陽の光が地球まで届くためには空間と時間がある。一滴の雨のなかに宇宙全体が織り込まれている、という発想です。原因と結果を直線的に並べる西洋的因果論と違い、縁起は網の目のような相互依存として世界を捉えます。

龍樹と空の哲学

縁起の洞察を論理的に徹底すると、ある驚くべき帰結が導かれます。あらゆるものが他に依存して成立しているなら、どのものも、それ自身で成立する固有の本質を持ちません。この事態を龍樹くうと名づけました。

中論で龍樹が駆使するのは、四句分別しくふんべつという独特の論法です。あるものをめぐって、有る・無い・有りかつ無い・有りでも無いでもない、の四つの選択肢をすべて論破していく。アリストテレス論理学排中律はいちゅうりつ、すなわち命題はAかA以外のいずれかであるという原則を、龍樹はあえて踏み越えていきます。

西洋論理学が同一律と矛盾律を絶対の前提とするのに対し、空の論理は概念それ自体が指示対象を持たないことを示そうとする。論理を否定するのではなく、論理が前提する実体性を解体してその先を開く、独自の知的運動でした。

大乗仏教の広がり

龍樹を中心とする中観派ちゅうがんはは、唯識派ゆいしきはと並んで大乗仏教の二大学派をなしました。空の哲学は単なる否定ではなく、菩薩ぼさつの慈悲の実践と結びついていきます。すべてが空であるからこそ、自他の固定した境界もまた空であり、他者の苦しみを自分の苦しみとして引き受ける菩薩道ぼさつどうが可能になる、という展開です。

この思想はシルクロードを越えて中国に伝わり、天台宗てんだいしゅう華厳宗けごんしゅう禅宗ぜんしゅうを生み、さらに朝鮮半島と日本へと広がっていきました。チベットでは中観哲学が今も生きた学問として受け継がれ、ダライ・ラマが現代の科学者と対話する基盤になっています。

仏教と現代哲学の対話

二十世紀後半以降、仏教哲学は西洋の知性にも本格的に受容され始めました。現象学者は無我と志向性の関係を考え、分析哲学者は空と意味の使用説の親近性を論じ、認知科学者は瞑想と意識研究を結びつけます。ハイデガーが晩年に禅に関心を寄せ、デリダの脱構築が空の論理と比較されるのも偶然ではありません。

二千年以上前にインドで磨かれた知が、いま脳と意識をめぐる現代の最前線に新しい視点を提供しています。次章では、仏教を生んだインドのさらに広い哲学的伝統、ヴェーダから六派哲学へと至る流れに目を向け、もう一つの精神世界の地層を掘り下げていきます。