公民権運動
こうみんけん うんどう
現代
人種差別に対する非暴力抵抗と平等の闘い
この出来事について
1950〜60年代の米国を中心に広がった、人種差別撤廃を求める非暴力抵抗運動。
【何が起きたか】
1955年のモンゴメリー・バスボイコット以降、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアらの指導で公民権運動が全米に拡大した。1964年公民権法、1965年投票権法が成立し、法制度上の人種差別撤廃が進んだ。同時期に南アフリカではマンデラらがアパルトヘイト闘争を、インドでは独立後の憲法でカースト差別を禁止した。
【思想への影響】
ガンディーの非暴力抵抗(サティヤーグラハ)が国際的に継承され、市民的不服従の哲学が体系化された。ロールズ『正義論』は、どの立場に生まれるかの偶然性を前提に公正な社会を構想する思考実験を提示した。アレントは全体主義と公的空間の関係を論じ、サンデルは共同体主義的正義論を展開した。
【現代とのつながり】
ブラック・ライヴズ・マター、マイノリティ権利、アファーマティブ・アクションの議論は公民権運動の直接の延長にある。交差性(インターセクショナリティ)などのフェミニズム・ポストコロニアル研究にも深く接続する。
さらに深く
【背景の深層】
公民権運動の思想的背景には、ガンディーの非暴力抵抗(サティヤーグラハ)が直接の影響として存在した。マーティン・ルーサー・キングはインド訪問を通じてガンディー主義を深く学び、アメリカ文脈への翻訳を進めた。またアフリカ系アメリカ人の知的伝統では、W.E.B.デュボイス『黒人のたましい』(1903)の二重意識論以来の長い蓄積があり、ブッカー・T・ワシントンの実学重視論とデュボイスの権利闘争論の対立も内的な理論的緊張として生きていた。公民権運動はこれらが戦後に政治的な形を取って噴出したものと言える。黒人教会の霊的伝統、北部都市への大移動による政治的団結力、冷戦期の対外イメージ戦略上の圧力も不可欠な前提だった。マルコムXのブラック・ナショナリズムは、キングの統合路線と対照をなしつつ運動の多声性を保証した。
【影響の広がり】
ジョン・ロールズ『正義論』(1971)の公正の概念と無知のヴェールの思考実験は、公民権運動が提起した制度的差別の問題への哲学的応答として読める。アレント『暴力について』は非暴力運動を政治的行為の新しい可能性として評価した。公民権運動はフェミニズム第二波、ゲイ解放運動、障害者運動、環境正義運動、先住民権利運動など、以後のあらゆるアイデンティティ政治の原型となった。アンジェラ・デイヴィスの人種・階級・ジェンダーの交差分析、パトリシア・ヒル・コリンズのブラック・フェミニスト思想、コーネル・ウェストの預言的プラグマティズムは、公民権運動の思想的遺産を理論化した。現代の交差性(インターセクショナリティ)理論、ブラック・ライヴズ・マター、批判的人種理論、脱植民地化の議論は、公民権運動の未完の課題への現代的応答である。
【さらに学ぶために】
マーティン・ルーサー・キング『私には夢がある』は演説集で、非暴力思想と人種的正義の核心を直接聴ける必読集である。ジェームズ・ボールドウィン『次は火だ』は同時代の黒人知識人の視点から公民権運動期を描いた名著である。