『クラテュロス』
古代
プラトンの対話篇で唯一、言葉と事物の関係だけを主題とする作品
この著作について
プラトン中期の対話篇(原題『Κρατύλος』)。言葉と事物の関係をめぐる言語哲学の書として、古代から現代言語学・記号論に至るまで参照されてきた古典である。
【内容】
登場人物はソクラテス、自然主義者クラテュロス、規約主義者ヘルモゲネスの三名。ヘルモゲネスは「名前は人間の取り決めにすぎない」と主張し、クラテュロスは「名前は事物の本性を正しく映し出す」と反論する。ソクラテスは前半でクラテュロスに味方する姿勢を装いつつ、ギリシア語の固有名詞や神名の語源を半ば茶化しつつ半ば真面目に分析する。後半では一転して自然主義を厳密に吟味し、言葉が事物を映す鏡であるならばもはや事物そのものを見ればよく、言葉そのものの研究は不要ではないかという根本的な反転を示す。結論は開かれたまま、言葉と事物の関係が何か第三の水準で問い直されるべきことが示唆される。
【影響と意義】
名は取り決めか本性かという問いは、ソシュール『一般言語学講義』の恣意性テーゼにも通じる。20世紀には、フランスの文学理論家ジュネットが1976年の著作でこの対話から論を起こし、記号の恣意性を取り上げている。『クラテュロス』は言語学の発展のなかで、歴史的に重要な参照点となってきた。
【なぜ今読むか】
名前の付け方・ブランドの命名・プログラミング言語の設計が日常化する現在、名と事物の関係を正面から哲学的に問うた対話として、実践的にも示唆が豊かである。
どの訳で読むか
日本語訳は、岩波書店のプラトン全集第2巻に入った水地訳と、櫂歌書房の水崎訳の二つがある。水地訳は『テアイテトス』と1冊になっており、版元のサイトでは品切れと表示されている(2026年10月時点)ので、図書館などで探すことになる。『クラテュロス』だけを1冊にした水崎訳は、版元ドットコムの書誌で出版社の在庫情報が「不明」となっているため、買う前に書店で在庫を確かめるとよい。
水地宗明訳岩波書店・プラトン全集2、1974年
Amazonで探す「クラテュロス・テアイテトス」の1巻で、『テアイテトス』は田中美知太郎訳。A5判・470頁。版元は『クラテュロス』を、プラトンの言語論を伝えるほとんど唯一の著作と紹介している。版元のサイトでは品切れと表示されている(2026年10月時点)。
水崎博明訳櫂歌書房(星雲社発売)・プラトーン著作集 第5巻第1分冊、2013年
Amazonで探す『クラテュロス』だけを収める1冊で、巻の副題は「言葉とイデア」。xiii、259頁。版元ドットコムの書誌は、水崎博明著、原著者プラトンと表示し、紹介文では、名前の正しさは自然本性によるのか人々の取り決めによるのかを問う。同じ書誌で、出版社の在庫情報は「不明」と表示されている(2026年10月時点)。
ほかに、角川書店のプラトン全集第1巻(1973年)に戸塚七郎訳が、勁草書房のプラトン著作集第1巻(1971年)に村治能就・広川洋一訳が収められている。
さらに深く
【内容のあらまし】
対話は、ヘルモゲネスがソクラテスを議論に引き込むところから始まる。クラテュロスは、世界中の人がそう呼んでも君の名はヘルモゲネスではないと言うだけで、その真意を明かさない。ソクラテスは、貧しくてプロディコスの50ドラクマの講義は聞けず、1ドラクマの講義しか聞いていないので真理は知らないと言い、それでも調べは手伝う。
ヘルモゲネスは、名は取り決めにすぎないと言う。名が各人の取り決めしだいなら、私が人を馬と呼べば、私にとってはそれが正しい名になってしまう。ソクラテスは、ものが人それぞれの見えるとおりなら賢い人も愚かな人もいなくなる、とプロタゴラスの説を突いて、ものには人によらない本性があることを確かめ、名づけも本性に従う行為だと導く。布を織るのに杼《ひ》を使うように、私たちは名を使って教え合い、ものをその本性に従って分ける。名を作るのは立法者で、その仕事を導くのは問答家だという。
続いて語源の吟味が始まる。ホメロスが神々と人間とで呼び分けた川の名から、ヘクトルの子の二つの名へ進み、やがて神々の名に及ぶ。ソクラテスは、朝から長話を聞かされたエウテュプロンの霊感に取りつかれたと称する。ヘラクレイトスの「πάντα χωρεῖ καὶ οὐδὲν μένει(すべては動き、何ひとつとどまらない)」を引き、神々の祖先にクロノスとレアという流れの名をつけた者も同じ考えだったのではないかと問う。徳の名の場面では、昔の名づけ手は目が回って世界のほうが回っていると思い込む哲学者のようだったのではないかとも言う。それ以上分けられない最初の名は、ロー(ρ)の音が動きを表すというように、音の働きにまで降りて調べる。
後半ではクラテュロス本人が議論に加わる。偽りを語ることはできないと言う彼に、ソクラテスは像のたとえで応じる。神がクラテュロスの姿だけでなく内側の温かさや魂まで写し取ったら、それは像ではなく、クラテュロスが二人いることになる。硬さを表す語には柔らかさを表すはずのラムダが混じっているのに、この語は通じる。クラテュロスがそれは慣習のおかげだと答えると、ソクラテスは、慣習とは取り決めのことではないかと問い返す。名を知れば事物も知れるという彼に、名のないうちに最初の名づけ手はどうやってものを知ったのかと問い、名どうしが流転と静止で食い違うなら、決める基準は名の外にあると詰める。よく夢に見る問いだとして美そのものはあるのかと尋ね、すべてが流れているなら知ることもできないと論じる。それでもヘラクレイトスの説に傾くと言い残すクラテュロスを、ソクラテスは田舎へ送り出し、ヘルモゲネスが途中まで見送る。
著者
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