『推測と反駁』
すいそくとはんばく
現代
反証主義の科学哲学を論じた論文・講演集
この著作について
カール・ポパーが1963年に公刊した論文・講演集。『科学的発見の論理』で提示した反証主義の枠組みを、哲学史・社会科学・形而上学へと拡張した重要書。
【内容】
本書の中心命題は「知識は推測と反駁の繰り返しで成長する」。ポパーは帰納主義を批判し、大胆な推測(コンジェクチャー)と批判的反駁(リフューテーション)の往還こそが科学の方法だと主張する。物理学(ニュートン vs アインシュタイン)、生物学、歴史・哲学史(ソクラテス・カント・ヒューム)、政治(全体主義批判)、芸術など幅広い題材を通して、批判的合理主義を具体的に展開する。「真理には近づけるが決して到達できない」という真理論も提示される。
【影響と意義】
科学方法論・認識論・政治哲学にまたがる影響は絶大で、ラカトシュ、ファイアアーベント、マートンら科学哲学・科学社会学の後続世代の出発点となった。『開かれた社会とその敵』『科学的発見の論理』と合わせて、ポパー三大著作の一角を成す。
【なぜ今読むか】
誤謬を恐れず仮説を立て、厳しく反駁を試みる姿勢は、ポスト・トゥルース時代の知的態度のモデルとなる。
さらに深く
【内容のあらまし】
序文でポパーは、収めた論文と講演はどれも、人は自分の誤りから学べるという一つの主題の変奏だと述べる。序章のあとに20の章が「推測」と「反駁」の二部に分けて並ぶ。
序章「知識と無知の根源について」は、1960年に英国学士院で読まれた講演だ。経験主義者は、出どころをたどればいずれ目撃者の観察に行き着くと考える。ポパーは、新聞で読んだという答えから遡る例で反論する。新聞社に出どころを尋ね、電話を受けた人に尋ねと進んでも、最後の源にはたどり着かず、問いは雪だるま式に増える。そこで知識の源を問うのをやめ、どうすれば誤りを見つけて取り除けるかを問おうと提案する。
第1章は1953年の講義で、話は1919年のウィーンにさかのぼる。ポパーの問いは、理論の真偽ではなく、科学と疑似科学の区別だった。関心を引いたのは、アインシュタインの相対性理論、マルクスの歴史理論、フロイトの精神分析、アドラーの個人心理学。ポパーがある子どもの事例を報告すると、アドラーは会ってもいない子を劣等感の理論でよどみなく説明し、千倍の経験があるからだと言った。それなら今回の件で千一倍になったのだろう、とポパーは返す。どんな行動にも当てはまる理論と違い、アインシュタインの理論は、日食の観測しだいで否定されかねない危うい予測を立てていた。
第5章「ソクラテス以前の哲学者たちへ帰れ」は、観察に基づかない大胆な推測の例として、大地は船のように水に浮かぶというタレスの説と、弟子のアナクシマンドロスが、大地は何にも支えられず、ほかのすべてから等しい距離にあるから動かないと考えたことを挙げる。弟子が師を批判しても争った形跡がないことから、ポパーは、批判を受け入れる新しい自由の伝統をタレスが始めたのではないかと推測する。第10章は、客観的な真理を、ほぼいつも雲に包まれた山頂にたとえる。登山者は頂上に着いたと確かめられなくても、まだ着いていないことにはしばしば気づける。
後半の「反駁」では、科学と形而上学の境界をめぐるカルナップへの批判、弁証法を試行錯誤の一形態として説明し直す章、歴史の予言を社会科学の仕事とみなす歴史主義への批判が続く。第18章「ユートピアと暴力」は、合理主義者を、暴力でなく議論により、場合によっては妥協により、物事を決めようとする人と定義する。自分は正しいと思うが間違っているかもしれず、相手が正しいかもしれない。ともかく議論しようという態度を、ポパーは理性的と呼ぶ。最終章は、人文学と自然科学を論じたドイツ語の本への手厳しい書評で、序文によれば、これから書評を書く人への目配せとして入れたものだという。
著者
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