『荘子』
そうじ
荘子·古代
自由な精神と相対主義を説いた道家の名著
この著作について
戦国期の思想家・荘周(そうしゅう)と後学たちの手になる、道家思想のもう一つの柱をなす寓話的哲学書。
【内容】
現行本は内篇・外篇・雑篇の計33篇。冒頭の「逍遙遊」では大鵬が九万里の高さに舞い上がり、「斉物論」では自分が蝶になった夢を見たのか、蝶が自分になった夢を見ているのかが分からなくなる「胡蝶の夢」が語られる。「養生主」では牛を解体する料理人が刃を骨の隙間に通していく熟練の妙を示す。奇想と論理の混じり合う寓話によって、美醜・大小・有用無用といった人為的な価値判断を相対化する「万物斉同」の思想が展開される。生死を気の集散として受け入れる自然観と、権力から距離を取る超俗の倫理が通奏低音をなす。
【影響と意義】
礼と秩序を重んじる儒家に対して、荘子は世俗的価値の相対性を徹底的に突き、知らぬ間に自分を縛っている枠組みから読者を解き放つ戦略をとった。中国文学・芸術に計り知れぬ影響を与え、禅仏教の成立にも流れ込んでいる。近代以降はニーチェやドゥルーズとの比較研究も盛んで、脱構築の先駆とも呼ばれる。
【なぜ今読むか】
物語と比喩で読者の価値観をそっと裏返す構成は、哲学書でありながら文学としても一流。「今の自分の常識は、本当に常識なのか」と立ち止まりたいときに、いちばん気の利いた話し相手になってくれる。
さらに深く
【内容のあらまし】
冒頭の逍遙遊篇は、北の海にいる巨大な魚「鯤」が、ある日、鳥「鵬」に変じて南の天池へと飛び立つ場面から始まる。九万里の高さに舞い上がる鵬を、地上の蝉や鳩は「あんなに高く飛んでどうするのか」と笑う。荘子はこの対比で、私たちが当然視している尺度がいかに小さいかを揺さぶる。続いて尭が天下を譲ろうとした隠者の許由が「鷦鷯は森を巣とするにも一枝に過ぎず」と言って断る逸話が置かれ、世俗的な大きさと真の自由が対比される。
斉物論篇は本書の哲学的核心である。是と非、彼と此、美と醜は互いに依存し合っており、どちらかが絶対的に正しいということはない。論争で勝った者と負けた者のどちらが本当に正しいのか、第三者を呼んでも所詮は誰かの立場でしか裁けない。最終的に「物化」という考えに行き着く。荘周が蝶になった夢を見たのか、蝶が荘周になった夢を見ているのか分からなくなる胡蝶の夢は、自他の境界の溶解を象徴する場面として閉じる。
養生主篇では、料理人庖丁が文恵君の前で牛を解体する有名な話が語られる。庖丁の刃は十九年使っても新品のように切れ味を保つ。骨や腱の隙間に刃を通し、力で切らないからだ。技を超えて道に通じた者の働きが、こうして職人の動作として描かれる。続く人間世篇では、政治の渦中で生き延びる知恵が、孔子と顔回の対話という意外な形で説かれる。荘子はしばしば儒家の人物を借りて自分の思想を語らせる。
大宗師篇では生死を気の集散として静かに受けとめる達人たちが描かれ、応帝王篇は「混沌の死」の寓話で締めくくられる。南海と北海の帝が混沌をもてなそうとして、目耳鼻口の七穴を一日一つずつ穿ったところ、七日目に混沌は死んだ。親切が逆に存在を殺してしまうこの物語は、人為的に整えることそのものへの根源的な懐疑を示す。後半の外篇雑篇には木に成りそこねた老樹の役立たずさが命を救うといった寓話が並び、有用と無用の価値が転倒され続ける。読者は最後まで、確かな足場を与えられない。