「知行合一」
王陽明中世
王陽明の語録『伝習録』に見える、知ることと行うことは分けられないとする陽明学の中心の教え。
この言葉について
知ることと行うことは本来切り離せない、と説く明代の思想家、王陽明の教え。
【背景】
王陽明が念頭に置いていたのは、朱子学の先知後行説である。これは知と行の関係を、順序からいえば知が先、重さからいえば行が重いとする考え方で、王陽明は、知と行を前後の二段に分けて扱うこと自体を問題にした。
【解釈】
日本では、実践や体験を重んじる教えとして受け取られることが多く、そう説明する辞典もある。一方で、要点は知と行を先後や軽重に分けられないところにあり、実践を強調する説と読むのはまったくの誤解だとする辞典もあって、見方は分かれている。
【現代への示唆】
学んだことを行動に移せないとき、意志の弱さとだけ考えず、本当に分かっているのかを問い直すきっかけにできる。
さらに深く
【出典】
王陽明(名は守仁)の語録『伝習録』上巻、門人の徐愛が記録した部分に出る。上巻は1518年、王陽明自身が目を通したうえで刊行された。徐愛は、親には孝行し兄を敬うべきだと知っていながら、そうできない人がいるのだから、知と行ははっきり別物ではないか、と問う。王陽明は、それは私欲に隔てられた状態で、もはや知と行の本来の姿ではないとし、「未有知而不行者。知而不行、只是未知」(知っていて行わない者はいない。知っていて行わないのは、まだ知らないだけだ)と答える。さらに、知は行の主意であり行は知の工夫である、知は行の始まりで行は知の完成である、と説き、自分がいま知行合一を説くのは病に対する薬だと言う。四字の形も本人の口から出ている。
【よくある誤解】
知行合一を、知識はさておきまず行動せよという意味だけで受け取ると、王陽明自身の説明の細かな点が抜け落ちる。彼は『大学』の、美しい色を好み悪臭を憎むという句を引き、美しい色を見るのは知、それを好むのは行だが、見たときにはもう好んでいるのであって、見たあとで改めて好もうと心を立てるのではない、と説明する。しかも彼のいう行は幅が広く、好き嫌いの情や心に兆す意欲や思念まで含む。手足を動かすことだけが行なのではない。行動を急かす標語として読むだけでは、この点が見えなくなる。
【この言葉のその後】
王陽明の学は日本にも伝わり、江戸初期の中江藤樹がその先駆者となった。藤樹は明代の朱子学の亜流に反発して陽明学に転じ、数多くの門人を育てた。同じ江戸初期の熊沢蕃山、中期の三輪執斎もこの学を広めたが、古学派や古文辞学派に押されて振るわなかった。幕末維新期を迎えると、陽明学は思想運動として最も盛り上がり、佐藤一斎や大塩平八郎(中斎)が活躍した。一方で、朱子学の知性偏重を批判し、実行の伴わない知識を退けるその姿勢のために、陽明学は江戸幕府などから危険思想とみなされもした。「陽明学」という呼び名自体は、明治期の信奉者たちが「陽明学」などの機関紙を出したことから広まったものである。