追われている人が、あなたの家に隠れています。玄関に来た人が、その人はどこにいると尋ねました。答えれば、その人は殺されます。
嘘をつけば助かります。黙っていれば、家の中を探されます。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
追われている人が、家に隠れています。玄関に来た人が「その人はどこにいる」と尋ねました。答えれば、その人は殺されます。嘘をつけば、助かります。黙っていれば、家の中を探されます。
嘘をつきますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
カントは、嘘をつくなと答えました
1797年の短い論文で、カントはこの状況について書いています。それでも嘘をついてはならない。
理由は二つあります。
一つ、嘘は普遍化できない。全員が都合次第で嘘をつく世界では、言葉そのものが機能しなくなります。嘘が成り立つのは、みんなが正直だという前提があるからです。
二つ、結果は読めない。嘘をついて「彼は出ていった」と言ったら、実際に本人がこっそり出ていて、追手と鉢合わせするかもしれません。そのとき、死なせたのはあなたです。 正直に答えていれば、責任は追手にありました。
この結論には、当時から強い反発がありました。カント自身の体系の中でも、最も擁護しにくい部分とされています。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
起きたことで決める。助かるかどうかで決める。ほとんどの人がこう答えます。 ベンサムなら迷わずここです。
本当のことを言う。事実でないことを言わない、という線は越えない。カントの立場です。弱く見えますが、この線を崩すと、どこで止めるかが分からなくなります。
手を下さない。自分の口から居場所を渡せば、引き渡したのは自分になる。答えないという第三の道で、嘘もつかず、加担もしない。
本人が決める。隠れている本人に聞いて決める。当事者を決定から外さないという発想です。命がかかっているのはその人であって、嘘をつく側でも、つかれる側でもない。ただし玄関に人が立っている以上、聞きに行く時間があるとはかぎりません。
カントを救う読み方があります
現代の研究者の多くは、カントの結論を額面どおりには受け取っていません。
一つの読み方は、追手には真実を受け取る権利がないというものです。講義録に残る議論を手がかりに、正直さの義務は「まっとうな関係にある相手」に対してのみ成り立つ、と読む研究者がいます。人を殺そうとしている相手は、その関係の外にいる。ただしカント自身は、1797年の論文でこの論法をはっきり退けています。
もう一つは、沈黙は嘘ではないという道です。カントが禁じたのは偽りを述べることであって、答えないことは含まれません。
カントを守るには、この抜け道のどれかが要ります。 そして抜け道が要るということ自体が、この例の強さを示しています。
「例外を認めない」ことの意味
この議論を単なるカントの頑固さとして片づけると、大事な点を落とします。
例外を認めると、例外の判定を誰かがしなければなりません。 そしてその判定は、たいてい自分に都合よく行われます。今回だけは、この相手なら、この目的なら。
例外なしという線は、非現実的だからこそ、崩されにくい。 拷問の禁止が、例外を認めない形で置かれているのは、この理屈によります。
いま、この問いが出てくる場所
内部告発、報道での情報源の秘匿、医療での告知。正直さと危害防止がぶつかる場面は、いくらでもあります。
そして実務では、たいてい第三の道が取られます。言わない。答えない。この件についてはお話しできない。 カントを守るために持ち出された「沈黙は嘘ではない」という線と、同じ形の線が、制度の側にも引かれています。