すべての人が幸福に暮らす美しい街があります。ただし条件が一つ。地下の暗い部屋に、一人の子どもが閉じ込められていること。
その子を助けた瞬間、街の幸福はすべて失われます。街の人は皆、そのことを知っています。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
すべての人が幸福に暮らす美しい街があります。ただし条件が一つだけあります。地下の暗い部屋に、一人の子どもが閉じ込められていること。その子を助けた瞬間、街の幸福はすべて失われます。街の人は皆、そのことを知っています。
あなたは、この街に住み続けますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この話を書いた人
作家アーシュラ・K・ル=グウィンが1973年に書いた短編です。哲学の論文ではなく、小説として書かれました。
物語は、幸福な街の描写から始まります。祭りがあり、音楽があり、誰も苦しんでいない。そして中ほどで、地下室が出てきます。
住民は皆、成長する過程でその子の存在を知らされます。多くはショックを受け、やがて受け入れます。ですが、一部の人は街を出ていきます。
題名の「歩み去る人々」は、その人たちのことです。どこへ行くのかは書かれていません。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
数で決める。一人の不幸で大勢が幸福になるなら、総量としては正しい。功利主義を貫くとここになります。そしてこの立場は、直観的にはほぼ全員に拒まれます。
それ自体で価値がある。誰か一人を手段として使う仕組みには乗れない。カントの立場です。その子は街の幸福を支える装置として使われています。人は誰かの役に立つから価値があるのではない、というのがカントの引いた線でした。
弱い側に寄せる。その子を助ける。街が失われても、そこが先だ。ロールズの発想で、いちばん条件の悪い人から見るという順序です。
手を下さない。黙って街を出る。変えられないが、加担もしない。物語の題名になった選択です。自分が引き起こす側から降りる。ただしこれは、何も解決していません。
この話が突きつけているのは、選択ではありません
多くの思考実験は、選ばせることで前提をあぶり出します。この話は少し違います。
ル=グウィンが書いたのは、受け入れて住み続ける多数派です。彼らは残酷ではありません。子どものことを知り、心を痛め、それでも暮らし続けます。そのほうが自然だから。
つまりこの物語は、悪人を描いていません。普通の人が、どうやって不正の上で幸福に暮らせるようになるかを描いています。
歩み去ることは、答えなのか
街を出る人たちは、しばしば良心的な選択として読まれます。ですが、それで子どもは助かりません。
出ていくことで、自分の手は汚れなくなります。子どもの状況は何一つ変わりません。加担しないことと、助けることは違う。
ル=グウィンが行き先を書かなかったのは、たぶんそのためです。歩み去った先に、答えがあるとは書いていません。
いま、この問いが出てくる場所
安い製品の背後にある労働条件、遠い場所で採掘される鉱物、見えないところで払われている代償。私たちの暮らしは、たいてい誰かの地下室の上に建っています。
知っている。心を痛める。それでも暮らし続ける。この物語がいちばん正確に描いたのは、その状態です。
歩み去るか、住み続けるか。その二つ以外の道を探すことが、この話を読んだあとの宿題になります。