入門編 · 古代の物語 · 第16章
ソクラテスの問答:知らないことを知る
紀元前399年、アテナイ。500人の市民が並ぶ法廷で、一人の70歳の老人が弁明しています。ソクラテスは若者を堕落させ、神々を信じない罪に問われていました。彼が街角でしてきたことといえば、ただ立ち止まって人に問いを投げかけることだけだったのに、なぜ死刑になるほどの嫌悪を集めたのでしょうか。
民主政アテナイとソフィストたち
当時のアテナイは民主政の最盛期を過ぎ、ペロポネソス戦争の敗戦と政変の傷を抱えていました。市民集会で意見を通す力、訴訟で勝つ弁論術が、出世のための実用技術として高値で取引されます。報酬を取って弁論術を教える知識人たちはソフィストと呼ばれ、各地から集まりました。
代表格のプロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と説き、真理は人によって異なるという相対主義を唱えました。ゴルギアスはさらに過激で、何も存在しない、あったとしても認識できない、認識できても伝達できない、と論じます。言葉が真理よりも勝敗のための道具になりつつあった時代に、ソクラテスは登場しました。
無知の知:何が分かっていないかを知る
きっかけはデルフォイの神託でした。「ソクラテスより賢い者はいない」と告げられた彼は驚き、自分より賢いはずの政治家・詩人・職人を訪ね歩きます。すると、誰もが自分の専門以外まで知っているふりをしているのに対し、ソクラテスだけは「自分は何も知らない」ことを知っていることに気づきます。これが有名な「無知の知」です。
知らないことを知らないと認める。一見当たり前のこの態度が、なぜ革命的だったのか。それは、知っているふりをやめた瞬間にしか、本当に問いを問うことができないからです。立派に見える人ほど、自分の足元の根拠を吟味していませんでした。ソクラテスはこの事実を、相手が逃げられない形で示し続けました。
問答法:対話で真理を産む
彼の方法は、自分の答えを押しつけるのではなく、相手に問いを返し続けることでした。「勇気とは何か」と聞かれた将軍に、まず定義を求める。返ってきた定義に反例を出し、相手が自分で矛盾に気づくまで導く。これが問答法(エレンコス)であり、母親が産婆であった彼は、自分の役割を「相手の魂が真理を産むのを助ける産婆術」だと語りました。
ソクラテス自身は一冊の本も書きませんでした。彼の対話の記録はすべて弟子のプラトンによるものです。『ソクラテスの弁明』には法廷での弁論が、『クリトン』には脱獄を勧める友への返答が描かれています。書物ではなく対話を選んだことそれ自体が、彼の哲学的な答えだったとも言えます。
あなたが「分かっている」と思っていることを一つ取り上げて、五歳の子どもに説明できるか試してみてください。どこで言葉につまるでしょうか。
哲学者の死
法廷で有罪が決まったあと、ソクラテスには逃亡の道も用意されていました。友人クリトンは脱獄を準備し、彼の家族のためにも生き延びるよう懇願します。けれども彼は断りました。アテナイの法によって育てられた者が、自分に不利な判決のときだけ法を踏みにじるのは筋が通らない、と。最後に毒人参の杯を仰ぎ、対話を続けながら静かに息を引き取りました。
その死は、哲学が単なる知的遊戯ではなく、生き方そのものを賭ける営みであることを世に示しました。『パイドン』に描かれた最後の対話は、後の西洋哲学に決定的な影響を残します。次章では、この師の死を見届けた弟子プラトンが、いかにして壮大な哲学体系を築き上げたかを見ていきます。
古代の物語 · 第16章