『ソクラテスの弁明』
そくらてすの べんめい
プラトン·古代
プラトンが記録したソクラテス裁判の場での最後の言葉
この著作について
プラトンがソクラテスの裁判を再構成した最初期の対話篇。西洋哲学の精神的な出発点に位置する作品である。
【内容】
紀元前399年、不敬神と青年誘惑の罪で告発されたソクラテスが、501人の陪審員を前に自らを弁護する。デルフォイの神託をきっかけに「自分は何も知らないと知っている」という点で他人に勝ると気づいた経緯、アテナイ市民を吟味し続けてきた使命、死刑判決を受けてもなお哲学を捨てないという宣言が、三つの演説として語られる。弁論の技巧を退け、素朴な問答だけで立ち向かう姿が印象深い。
【影響と意義】
「吟味されない生は生きるに値しない」という一句は、自律的思考の原点として西洋哲学史に刻まれた。権威や多数決に屈せず理由を問い続ける姿勢は、近代の良心的不服従や、カントの「自分の頭で考えよ」という啓蒙の理念にまで連なっている。哲学を書斎の学問ではなく、生き方の問題として示した点が決定的な意義を持つ。
【なぜ今読むか】
多数派に流されず、自分の頭で問い続けることの意味を、命を賭して示す文書として比類ない。空気を読むことに疲れた現代の読者に、哲学という生き方の原点を取り戻させてくれる。
さらに深く
【内容のあらまし】
物語は紀元前399年のアテナイ、五百人余りの陪審員を前にした法廷から始まる。告発内容は二つ、国家の神々を信じず新しい神霊を導入したこと、そして青年たちを堕落させたことである。原告メレトスらが演説を終え、いよいよソクラテス自身が弁明に立つ。彼はまず、自分は弁論術に長けていないので、市場で話すのと同じ素朴な言葉で語ると断る。
第一の演説でソクラテスは、自分への悪評の根を辿る。デルフォイの神託が「ソクラテスより賢い者はいない」と告げたことを聞いて困惑した彼は、政治家や詩人や職人を訪ねて吟味して回った。誰もが自分を賢いと信じているが、肝心なことを実は知らない。それに比べ自分は「知らないということを知っている」点でわずかに優れているのだ、と彼は気づく。この吟味の習慣が市民の反感を買い、いまの告発につながったと説明される。続いて彼は告発内容を一つずつ反駁し、神霊を導入したという罪状については論理的矛盾を突き、青年を堕落させたという罪については、自分が誰かを意図的に堕落させる動機がそもそもないと示す。
陪審員の投票でソクラテスは有罪と判定される。続く第二の演説で、彼は刑罰の対案を求められる。普通の被告なら追放や罰金を申し出るが、ソクラテスはなんと「アテナイの公費で食事を給される名誉」がふさわしいと述べる。市民を吟味して目を覚まさせてきた功績への報いだ、というのである。挑発的な提案は陪審員を逆上させ、結局彼は死刑を宣告される。
第三の演説でソクラテスは、自分を死に追いやった人々ではなく、判決後も席を立たずにいる支持者たちに語りかける。死は二つに一つ、夢のない深い眠りか、過去の偉人たちと語り合える別世界か。どちらにしても恐れる理由はない。「吟味されない生は、人間にとって生きるに値しない」。この一句を残し、彼は静かに法廷を去る。