入門編 · いま、ここで考える · 第50章
格差と承認:誰の声が聞かれるか
就職氷河期に社会に出た親戚と、売り手市場で内定を複数もらっている甥が、お正月の食卓で気まずく沈黙する。同じ努力をしてきたつもりでも、生まれた年が数年違うだけで人生のかたちが変わってしまう。同じ家族のなかでさえそうなのですから、地球の反対側との隔たりはなおさらです。「努力すれば報われる」という言葉が滑り出すたび、誰かを傷つけている気がする時代に、私たちは生きています。
グローバル化と格差
冷戦終結後の数十年で、世界は経済的に深く結びつきました。同時に、国内・国際の双方で格差は拡大しています。一握りの富裕層が人類全体の富の大半を握る一方、社会の中間層は薄くなりつつあると、多くの統計が示しています。
ロールズの公正としての正義は、不平等は最も恵まれない人々の利益になる範囲でのみ正当化されるという格差原理を提示しました。これに対し、リバタリアンは個人の自由と所有権を重んじ、再分配は強制的な課税にすぎないと反論します。誰が何をどれだけ手にしてよいのか。古典的な分配正義の議論は、依然として論争の中心にあります。
アイデンティティ政治の登場
経済的な不平等だけが問題ではありません。20世紀後半以降、女性、人種的マイノリティ、性的マイノリティ、障害者など、これまで「普遍的人間」のモデルから排除されてきた人々が、自分たちの経験と権利を言語化し始めました。
フェミニズムはその代表です。ボーヴォワールは「人は女に生まれるのではなく、女になるのだ」と書き、ジェンダーが社会的に構築されることを示しました。アイデンティティ政治は時に分断を加速させると批判されもしますが、もともと無視されてきた声を可視化する不可欠な営みでもあります。
承認をめぐる闘争
ドイツの哲学者アクセル・ホネットは、ヘーゲルの議論を引き継ぎながら、人間の社会的闘争の根底には承認への欲求があると論じました。私たちは衣食住を求めて闘うだけでなく、自分の存在と価値が他者から認められることを求めて闘っている。愛による承認、法的権利による承認、社会的連帯による承認の三層が満たされて、はじめて人は自己肯定できるというのです。
無視されること、見下されること、声を聞かれないこと。これらは単なる不快ではなく、人間の自己関係を傷つける深い害悪です。承認論はこの直観に哲学的な言葉を与えました。
あなたが「誰にも分かってもらえない」と感じたとき、欲しかったのは何だったでしょう。資源でしょうか、共感でしょうか、それとも対等な相手としての扱いでしょうか。
ポストコロニアルの視点
パレスチナ系の文学研究者エドワード・サイードは『オリエンタリズム』で、西洋が東洋について語ってきた知のあり方そのものに、植民地支配の構造が織り込まれていると暴きました。インドの研究者ガヤトリ・スピヴァクは「サバルタンは語ることができるか」と問い、最も周縁化された人々が自分の言葉で語る経路すら奪われている現実を指摘しました。
ポストコロニアリズムの視点は、私たち日本の読者にも他人事ではありません。誰の声がデフォルトとして聞かれ、誰の声が翻訳を待たねばならないのか。次章では、その「声」が飛び交う場としてのSNS時代の公共性を考えます。
いま、ここで考える · 第50章