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入門編 · いま、ここで考える · 第51

SNS時代の自由と公共性

朝、スマホを開けば、昨夜まで誰も知らなかった人物が「炎上」している。引用リツイートに引用リツイートが重なり、本人の発言の文脈はとうに消え去っているのに、怒りだけがふくれ上がっていく。一日後にはまた別の誰かが燃えている。私たちはかつてないほど自由に発言できる時代を生きていますが、その自由は本当に公共的な議論を支えているのでしょうか。

公共性とは何か:アーレントの問い

ナチスから亡命した政治哲学者ハンナ・アーレントは、人間の条件のなかで、人間の活動を「労働」「仕事」「活動」の三つに分けました。生命維持のための労働、ものを作る仕事、そして他者と言葉を交わし共に世界を作っていく活動。彼女が最も重視したのが、この三つ目の活動の場である「公共圏」でした。

公共圏とは、互いに異なる立場の人々が同じテーブルにつき、共通の世界について語り合う場のことです。SNSのタイムラインは無数の声で満たされていますが、それは本当に「共通のテーブル」になっているでしょうか。アルゴリズムは、私たちが見たいものだけを見せるよう最適化されています。

悪の凡庸さと現代

アーレントはアイヒマン裁判を傍聴ぼうちょうし、エルサレムのアイヒマンのなかで「悪の凡庸さ」という概念を提示しました。ホロコーストの実務責任者は、想像されたような怪物ではなく、ただ自分の仕事を熱心にこなし、思考することを停止した平凡な役人だった、と。

自分の頭で考えること、他者の立場に立って想像すること。この能力がえたとき、人はどんなに非道な体制にも淡々たんたんと組み込まれてしまう。SNSで他人を叩くとき、私たちが画面の向こうの一人の人間を想像することをやめていないか。全体主義を生んだ精神構造の分析は、かたちを変えて現代に響き続けます。

あなたが最後にSNSで強い言葉を放ったとき、相手は具体的な誰かとして見えていましたか。それとも観念のなかの抽象的な敵だったでしょうか。

熟議民主主義はSNS時代に可能か

フランクフルト学派のハーバーマスは、近代市民社会のカフェやサロンに生まれた「公共圏」を理想化し、対等な市民が理性的に議論することで世論よろんが形成されるべきだと論じました。彼の熟議じゅくぎ民主主義の構想は、民主主義を多数決ではなく対話の質によって基礎づけようとする試みです。

しかしSNS時代の議論の現実は、この理想からはずいぶん遠く見えます。短い文字数、匿名性、再帰的な引用と切り取り、注目を集めれば集めるほど報酬が得られる注意経済。ハーバーマス自身も近年、デジタル公共圏の劣化を厳しく批判しています。とはいえ、SNSによってこれまで声を持たなかった人々の発信が可能になった事実もまた重く、単純な懐古かいこには逃げ込めません。

ポピュリズムと哲学

世界各地で台頭するポピュリズムは、複雑な問題を「腐敗したエリート対純粋な人民」という単純な構図に翻訳して見せます。複雑さに耐え、即断を保留することは、知的に厳しい営みです。哲学はその「保留する力」を鍛える伝統でもあります。

自由とは何か、公共性とは何かという古典的な問いは、技術の変化のたびに新しい姿で立ち現れます。次章では、生と死の境界という、これもまた現代的な、そして深く実存的な問題に進みます。

いま、ここで考える · 第51