『反復』
はんぷく
近代
ギリシア的想起に対する「前方への反復」を提示したキルケゴール中期作
この著作について
セーレン・キルケゴールが1843年、コンスタンティン・コンスタンティウスの仮名で公刊した小説形式の哲学書。『おそれとおののき』と同年に刊行され、仮名著作群の重要作である。
【内容】
中心概念は「反復(Gjentagelsen)」。プラトンの「想起」が過去に向かうのに対し、キルケゴールの反復は未来に向かう運動であり、かつて失われた可能性を新たな形で取り戻す実存的行為として位置づけられる。物語の主人公である若い詩人が、かつて婚約した女性との愛を回復しようとして失敗する挿話と、語り手コンスタンティウス自身がベルリンへの旅を「反復」しようとして失敗する挿話が並べられ、最終的に反復は宗教的領域においてのみ真に可能だと示唆される。
【影響と意義】
20世紀のハイデガー『存在と時間』の「反復」概念、ドゥルーズ『差異と反復』、近年のカプト解釈神学に決定的影響を与えた。キルケゴール実存哲学の中核概念の一つ。
【なぜ今読むか】
一度失われた可能性をどう引き受けるかという、人生の根本的問いに最も鋭く答える古典。
どの訳で読むか
『反復』の日本語訳は、国立国会図書館サーチで確かめられた範囲で、桝田啓三郎訳(岩波文庫)、前田敬作訳(白水社の著作集)、尾崎和彦訳(創言社の全集、題は「受取り直し」)の三つがある。三つとも紀伊國屋書店のウェブストアでは注文を受け付けておらず(2026年10月時点)、図書館や古書も含めて探すことになる。白水社の巻は、同店に電子版ありの表示がある。
桝田啓三郎訳岩波書店・岩波文庫、1956年(1983年改訳)
Amazonで探す1956年に岩波文庫に入り、1983年に訳者が改訳して、333頁の現行の形になった。紀伊國屋書店のウェブストアでは、この改訳版(ISBN 9784003363515)の注文を受け付けていない(2026年10月時点)。
前田敬作訳白水社・「キルケゴール著作集」第5巻、1962年(1995年新装再刊)
Amazonで探す桝田啓三郎訳の『おそれとおののき』と合わせて1冊に収め、378頁。紀伊國屋書店のウェブストアでは紙の本の注文を受け付けておらず、電子版ありの表示がある(2026年10月時点)。
尾崎和彦訳創言社・「キェルケゴール著作全集 原典訳記念版」第3巻上、2010年
Amazonで探す題は「受取り直し」で、「畏れとおののき」の尾崎訳と同じ巻に収める。443頁。紀伊國屋書店のウェブストアでは注文を受け付けていない(2026年10月時点)。
さらに深く
【内容のあらまし】
扉には、実験心理学の試みという副題と、コンスタンティン・コンスタンティウスという著者名が掲げられる。本文は、エレア派が運動を否定したとき、ディオゲネスは一言も発せず何度か行ったり来たりして反論したという逸話から始まる。語り手は、反復と想起は同じ運動で向きが逆なだけだと定める。想起される過去は後ろ向きに繰り返され、本当の反復は前に向かって想起される。希望は着たことのない新しい服、想起は体に合わなくなった古い服、反復は擦り切れずにぴったり合う服だとたとえる。
前半の物語は、1年ほど前に恋を打ち明けに来た若者の話だ。部屋を歩き回りながらポウル・メラーの詩を繰り返し口ずさみ、涙ぐむ若者を見て、語り手は、彼が恋の始めからもうその恋を想起していると見抜く。娘は彼を詩人にするきっかけにすぎなかった。語り手は、自分を軽蔑すべき男に見せかけて身を引く策を授け、婦人服店のお針子まで手配するが、若者は姿を消す。
語り手は反復が可能かを確かめようと、汽船と郵便馬車でベルリンへ向かう。ケーニヒシュテッター劇場では、前に来たとき役者ベックマンに笑い転げたのに、今回は笑えず、30分で劇場を出て、反復などないと思う。数日たって帰国すると、留守のあいだに召使いが家じゅうを大掃除していた。前半の終わりで彼は、同じ音を確実には出せない郵便ラッパを自分の楽器と呼んで称える。
後半には、若者が居場所を明かさずに送る手紙が並ぶ。8月15日付は、授けられた策は見事だったが自分には実行できなかったと認める。9月19日付はヨブに呼びかける。10月11日付は、指を大地に差せばどこの国か匂いでわかるのに、人生に指を差しても何の匂いもしないと嘆き、誰が自分をだましてこの世に引き入れたのかと問う。12月14日付は、何があろうとヨブは正しいという点にこの書の秘密を見いだし、試練という範疇は美的でも倫理的でも教義的でもなく、超越的なものだと考える。1月13日付は、ヨブがすべてを二倍に受けた結末を、これこそ反復と呼ぶ。2月の手紙の彼は、自分を夫にふさわしい人間に変える雷雨を待っている。
5月31日付の最後の手紙で、若者は娘が結婚したと新聞で知り、それが雷雨だったと書く。自分はふたたび自分自身になったと言い、ただしヨブも子どもまでは倍にならなかったように、あり得るのは精神の反復だけだとも添える。巻末には、この本の本当の読者に宛てたコンスタンティウスの手紙が置かれる。恋人たちが結ばれるかを確かめようと結末から読む女性読者は失望するだろうと述べ、若者にもっと深い宗教的な背景があったなら、彼は詩人にならなかっただろうと記す。
著者
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