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余

『余録と補遺』

よろくとほい

近代

ショーペンハウアーの随筆・小論文集

哲学

この著作について

アルトゥル・ショーペンハウアーが晩年に刊行した二巻本の随筆・小論文集で、長く無視されていた彼を一躍ヨーロッパの寵児にした遅咲きの話題作。

【内容】

本書は実に多彩な主題を収める。哲学史論、大学哲学への痛烈な批判、論理学と弁証法に関する覚書、人生の知恵、性格論、読書論、著述論、法と国家、宗教対話、女性論、自殺論、幽霊現象の考察、音楽論など、哲学書の狭い枠を超えて人生と社会のあらゆる局面が扱われる。第一巻『余録(パレルガ)』は比較的まとまった論文、第二巻『補遺(パラリポメナ)』は短い断章や警句からなる。主著『意志と表象としての世界』の厭世《えんせい》的な世界観を前提にしつつ、それを日常の話題へ落とし込んで展開する点に特徴がある。

【影響と意義】

主著が長く無視されていたショーペンハウアーを一躍時代の顔に押し上げ、晩年の名声と主著の再評価に繋がった書物である。トルストイ、ニーチェ、ワーグナー、トーマス・マン、ウィトゲンシュタインらを魅了し、近代文学と思想の地下水脈を形作った。

【なぜ今読むか】

人生の苦さを直視する筆致と、皮肉に満ちた警句の痛快さが、過剰に明るい自己啓発の言説に疲れた読者に静かに効いてくる。主著に挫折した人も、この随筆集からであればショーペンハウアーに親しみを持って入っていける。

さらに深く

【内容のあらまし】

第1巻は独立した6篇の論文、第2巻は31章、通し番号で396節にのぼる断章からなる。

第1巻は哲学史で幕を開ける。最初の小論は、認識のうち何が主観に属し何が客観に属するかという問題でデカルトからカントまでを貫き、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルは付録に回して、哲学者ですらない詭弁家だと退ける。続く「哲学史のための断章」はソクラテス以前から書き起こし、自分の哲学で締めくくる。「大学の哲学について」は、哲学で生計を立てる教授たちを攻撃し、カントの言葉で着飾って神を論じる彼らを、気球で昇天するカントが投げ落とした服や鬘を猿たちが拾って身を飾る銅版画になぞらえて笑う。

運命についての小論は、混乱して見える個人の生涯も練り上げた叙事詩のような全体ではないかと問い、誰もが自分の夢のひそかな演出家であるように、運命もまた自分自身の意志から出ているのかもしれないと推測する。視霊の試論は、動物磁気や透視の事実を疑う者は疑い深いのではなく無知なのだと言い切り、霊ではなく観念論で説明を試みる。巻末の「生活の知恵のためのアフォリズム」は『幸福について』として訳されている部分で、ここでの幸福論は本来の哲学を離れた歩み寄りであり、幸福論という語さえ婉曲表現だと断ってから始まる。年齢の違いを扱う最終章には、人生の最初の40年が本文、続く30年がその注釈だという一節がある。

第2巻の前半14章は主著の補遺である。死の章は、死後のことを聞かれたら、生まれる前のあなたと同じものになると答えればよいと言い、死んだら何になるのかと迫る男に「すべてであり、無である」と返す小対話で終わる。苦しみの章は、快が苦を上回るというなら、食べる動物と食べられる動物の感じ方を比べてみよと促す。補遺に続く宗教の章は、宗教を民衆の形而上学として擁護するデモフェレスと、何より真理を尊ぶフィラレーテスの対話で始まる。二人は最後まで説得し合えず、フィラレーテスは「十字架の後ろには悪魔が立つ」というスペインのことわざで切り返す。

後半は自分で考えること、文体、読書、言葉といった身近な話題へ移り、初めの三章は『読書について 他二篇』で読める。騒音の章は、町の路地に響く馬車の鞭の音が思索に割り込むさまを、首と胴のあいだに振り下ろされる処刑の剣にたとえる。最後の第396節が有名なヤマアラシの寓話だ。寒い冬の日に身を寄せ合えば針が刺さり、離れれば凍える。行き来の末に見つけたほどよい距離が礼儀作法であり、内に熱を多く持つ者はむしろ集まりから離れているほうを選ぶという。

著者

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