『意志と表象としての世界』
いしと ひょうしょうとしての せかい
ショーペンハウアー·近代
世界の本質を「盲目の意志」として捉えた悲観主義哲学の主著
この著作について
若き日のショーペンハウアーが1819年に公刊した、世界の本質を「意志」として捉える独創的な形而上学の主著。
【内容】
冒頭の「世界は私の表象である」という命題から出発する。私たちが認識する世界はすべて主観の表象にすぎないが、同時に私たち自身は身体を通じてこの世界に参加しており、そこに働く力をショーペンハウアーは「意志」と呼ぶ。世界の根底には盲目で無目的な生への意志が横たわり、人間はこの意志に突き動かされて欲望し、満たされては再び渇く苦しみに陥る。苦悩からの脱却として、芸術的観照による一時的な解放(特に音楽は意志そのものを表す)と、意志そのものを否定する禁欲的生き方による永続的な解放が説かれる。
【影響と意義】
ヘーゲル的な楽観主義に正面から異を唱え、人間の非合理的な側面を哲学の中心に据えた点が画期的だった。若きニーチェが圧倒的な影響を受け、のちにワーグナーの楽劇、フロイトの無意識論、トーマス・マンの文学にまで広く影を落とした。仏教やヴェーダ思想との積極的な対話は、西洋哲学による東洋思想理解の先駆でもある。
【なぜ今読むか】
生の苦悩についての容赦ない分析は、「ポジティブ思考」に疲れた現代人に逆説的な慰めを与えてくれる。自分を動かす「意志」に気づくための、静かで強い一冊。
さらに深く
【内容のあらまし】
冒頭の一句「世界は私の表象である」が議論の出発点となる。私たちが認識する世界はすべて主観の表象、つまり時間・空間・因果という形式に従って現れた現象であり、物自体ではない。第1巻ではカントの認識論を引き継ぎながら、世界が表象として開かれる構造が分析される。
第2巻で本書独自の転回が起こる。表象としての世界の裏側にあるものを、人は自分の身体を通じて直接知っている。腕を動かそうという意志が同時に身体の運動として現れる。身体は意志の客体化された姿だ。この経験を手がかりに、ショーペンハウアーは世界の根底にある物自体を「意志」と呼ぶ。それは個人の理性的な意図ではなく、盲目で無目的な、生きようとする力そのものである。植物の伸長、動物の本能、磁石の吸引、重力までもが同じ意志の段階的客体化として説明される。
意志は欠乏として現れる。欲望が満たされれば一瞬の安らぎがあるが、すぐ次の欲望が頭をもたげる。満たされなければ苦しみ、満たされれば退屈、人生はこの両極の振子から逃れられない。生は本質的に苦であるという仏教的響きを持つ診断がここに置かれる。
第3巻は美学である。芸術的観照では認識主観が個別の意志から離れ、純粋な観照の主観となり、対象は意志の永遠の理念として現れる。建築・絵画・詩へと階梯が上がり、頂点に音楽が置かれる。音楽は理念の写しではなく意志そのものを直接表現する芸術だとされ、後のワーグナーや20世紀美学に強い影響を残した。
第4巻は倫理学である。共苦の感情こそが正義と慈愛の源泉であり、最終的には意志そのものを否定する道が示される。聖者や禁欲者の生き方を範に、欲望の鎖を断ち切る境地が、本書の到達点として提示される。
著者
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