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教行信証

きょうぎょうしんしょう

親鸞《しんらん》·中世

親鸞の浄土真宗の根本聖典

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哲学

この著作について

親鸞《しんらん》が生涯にわたって書き継いだ浄土真宗の根本聖典であり、日本仏教思想史上もっとも重厚な教学書の一つ。

【内容】

全六巻の構成で、「教巻」「行巻」「信巻」「証巻」「真仏土巻」「化身土巻」と進む。親鸞は原則として自分の言葉で教理を展開せず、浄土三部経をはじめとする経典、龍樹《りゅうじゅ》・天親・曇鸞・道綽《どうしゃく》・善導・源信・法然《ほうねん》という七高僧の著作から厖大な引用を積み重ね、その配列のなかに阿弥陀仏の本願によって救われる道を浮かび上がらせる。自力では善を全うできない凡夫が、ひとえに阿弥陀仏の廻向によって信心を与えられ、念仏に帰することで浄土への往生と還相が確定する、という他力廻向の構造が段階的に示される。

【影響と意義】

真宗大谷派・本願寺派をはじめとする浄土真宗諸派の教学の根幹であり、清沢満之《きよざわまんし》・暁烏敏《あけがらすはや》・金子大栄《かねこだいえい》・曽我量深《そがりょうじん》ら近代の真宗学者によって現代思想とも架橋された。鈴木大拙《すずきだいせつ》を通じて西洋にも「神なき絶対他力」の宗教哲学として紹介されている。

【なぜ今読むか】

「自力でどうにもならないほど深い弱さ」を抱える者の側から書かれた宗教思想の古典として、自己啓発的な強さの言説に疲れた現代人にもう一つの地平を開く。引用の森を辿る読書体験そのものが、思考の枠を解くレッスンとなる。

さらに深く

【内容のあらまし】

本書は親鸞が三十年以上にわたって書き継ぎ、修正を重ねた浄土真宗の根本聖典である。読み進めると気づくのは、親鸞自身の文章は驚くほど少なく、ほとんどが経典と祖師の引用で構成されているという事実である。彼は自分の言葉で教説を建立するのではなく、過去の言葉を独自の順序で並べ直すことで、阿弥陀仏の本願の構造を浮かび上がらせる方法を選んだ。

冒頭の「教巻」では、釈尊が本当に説きたかった教えとは何かが問われる。八万四千の法門のうち、末法の衆生に与えられた真の教えは大無量寿経《むりょうじゅきょう》であり、その中心は阿弥陀仏の四十八願にあると示される。次の「行巻」では、その本願に応える行とは何かが論じられる。それは難行ではなく、ただ南無阿弥陀仏と称える念仏一つに帰せられる。引用は龍樹の十住毘婆沙論から法然の選択集まで、念仏の系譜を貫いて並べられる。

中核となるのが「信巻」である。親鸞はここで衝撃的な転回を行う。念仏を称える「行」が衆生の側の努力ではなく、阿弥陀仏から廻向された信心そのものであると説くのである。「信は願より生ず」というように、信心の主体は人間ではなく仏である。自力で信じようとする努力すら、すでに阿弥陀仏のはたらきに支えられている、という他力廻向の構造がここで結晶する。

続く「証巻」では、信心が定まれば臨終を待たず現生において往生が確定することが論じられる。「真仏土巻」では浄土の本質が、有形の楽園ではなく真如そのものであると明かされる。最後の「化身土巻」は本書の異彩を放つ部分で、自力的な仏教(聖道門)や、念仏でも自力に傾いた者がいる「化土」の問題が、批判と憐れみをもって整理される。

読後に残るのは、引用の森を歩き抜けた疲労と同時に、自分が一度も主役ではなかったという奇妙な安堵である。本書は、自我を退いた地点から見える宗教の風景を、教学の言葉で精密に描いた稀有な書物である。

著者

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