『選択本願念仏集』
せんちゃくほんがんねんぶつしゅう
法然《ほうねん》·中世
称名念仏一行をもって往生の正業と定めた浄土宗の根本聖典
この著作について
法然《ほうねん》が1198年、関白九条兼実の求めに応じて著した浄土宗の根本聖典。略して『選択集《せんちゃくしゅう》』とも呼ばれる。
【内容】
本書で法然は、浄土門と聖道門、正行と雑行、正定業と助業という三重の選択を通じて、阿弥陀仏が四十八願のなかで「本願」として選び取ったのは「念仏一行」であると結論づける。他のあらゆる行を雑行として退け、称名念仏のみを往生の正業と定める。善導の『観経疏』を典拠とする論理立てで、在来の諸宗派が取っていた選択的諸行往生ではなく、ただ南無阿弥陀仏を唱えるのみの専修念仏を打ち立てた。
【影響と意義】
本書は日本浄土教の成立を告げる画期的著作で、親鸞《しんらん》『教行信証』、一遍《いっぺん》『念仏賛』ら後続の浄土諸宗派すべての出発点となった。同時に、旧仏教諸宗からは『興福寺奏状』などで激しく批判され、法然は晩年に流罪に処された。日本仏教史における大転換点を作った書である。
【なぜ今読むか】
「凡夫がそのまま救われる」という思想は、努力や修行の限界に悩む現代人にも通じる救済観を提示する。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は十六章からなる。法然が六十六歳のとき、関白九条兼実の懇請に応じて自ら筆をとり、専修念仏の根拠を仏典の引用を積み重ねて示した綱領的著作である。冒頭で彼は、釈迦が説いた一切の教えを二門に分ける道綽の枠組みを引く。「聖道門」と「浄土門」である。聖道門はこの世で悟りを開く道で、戒・定・慧の修行を要する。浄土門は阿弥陀仏の願力にすがって浄土への往生を願う道で、末法の凡夫に開かれている。法然はこの世が釈迦入滅後二千年を超えた末法に入っていると判じ、浄土門を選ぶべきだと第一の選択を提示する。
第二章では浄土門のなかをさらに分ける。中国の善導『観経疏』に従って、念仏など阿弥陀仏に直接関わる行を「正行」、それ以外の諸経・諸仏への行を「雑行」と区別する。法然はここで雑行を捨て正行を選ぶべきだと第二の選択を打ち出す。第三章では正行のなかを「正定業」と「助業」に分ける。読経・観想・礼拝・讃嘆は助業であり、阿弥陀仏の名号を称える称名念仏のみが、往生を確実にする正定業である。これが第三の選択であり、書名「選択本願念仏集」の核心である。
中盤の各章では、阿弥陀仏が法蔵菩薩であった時代に立てた四十八願の内容が、一願ずつ吟味される。とくに重視されるのが第十八願、すなわち「十方の衆生がいたって心から信を起こし、わが国に生まれようと願って、わずか十回でもわが名を念ずるならば、必ず往生させる」という本願である。法然は、阿弥陀仏が四十八願のなかから本願として選び取ったのが、まさに称名念仏一行であったと結論づける。
後半では、専修念仏に対する反論が次々と取り上げられ、聖道門諸宗からの批判があらかじめ整理される。難行か易行か、自力か他力か、機根論、念仏の数遍。法然はそれぞれに、善導や道綽の文を引いて答えていく。最後の章で、彼は本書の編述をきわめて慎重に行ったこと、教義上の要点を絶対に変えないことを誓って筆を置く。本書は法然の死後に流布し、興福寺奏状などの激しい批判を呼び起こすことになるが、親鸞・一遍ら鎌倉新仏教の祖師たちは、まさにこの書を出発点として自らの道を開いていった。
著者
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