二人で組めば大きな獲物が取れます。一人が抜けると獲物は逃げ、組んだ側は何も得られません。 一人でも、小さな獲物なら確実に取れます。
相手がどちらを選ぶかは、始まるまで分かりません。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
2人で組めば大きな獲物が取れますが、1人が抜けると獲物は逃げ、組んだ側は何も得られません。1人でも、小さな獲物なら確実に取れます。相手がどちらを選ぶかは、始まるまで分かりません。
どちらを狙いますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この問いを作った人
ルソーが1755年に書いた例です。ゲーム理論より200年早い。
ルソーの元の文章は短く、鹿を追っていた者が目の前をうさぎが横切ると、ためらいなくそちらを追ってしまう、という描写です。彼はこれを、人が社会を作りきれない理由の一つとして挙げました。
囚人のジレンマとの違いが大事です。 囚人のジレンマでは、相手が協力しても裏切るほうが得でした。鹿狩りでは、相手が組むなら自分も組むほうが得です。裏切りが得になる場面がありません。
それでも組めないことがある。理由は損得ではなく、相手が組むと信じられるかどうかだけです。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
自分の得で決める。小さいほう。相手が抜けても、確実に手に入る。臆病だからではなく、これは合理的です。 最悪の場合を避ける選び方として筋が通っています。
相手の出方を読む。大きいほう。相手も同じ得を見ているなら、組むほうを選ぶはずだ。読みが当たれば最善、外れれば最悪。 読みの精度に全部かかっています。
取り決めを守る。組むと決めた以上、そこは動かさない。損得の計算から降りる立場です。約束を計算の外に置くことで、読み合いの無限後退を止めます。
決めない。読み違えれば手ぶらになる形に乗らない。狩りそのものを降りるという選択で、これはこれで一つの答えです。
「信じられるか」が資源になる
鹿狩りが示したのは、信頼が経済的な価値を持つということです。
同じ二人、同じ獲物、同じ能力でも、互いを信じられるかどうかで結果が変わります。信じられる関係にある集団のほうが、大きな獲物を取り続けられる。
だから信頼は、道徳の話であると同時に、取り分の話でもあります。ルソーが社会契約を論じたとき、彼が見ていたのはこの構造でした。
囚人のジレンマとの違いが、対策を変えます
一回きりの囚人のジレンマは、中にいるかぎり抜けられません。繰り返し出会って相手を覚えていられるなら話は変わりますが、一発勝負なら上から強制するしかない。
鹿狩りは違います。 二人が同時に「相手は組むはずだ」と思えれば、それだけで最善に着きます。必要なのは強制ではなく、合図です。
事前に一言かわす。前回も組んだという実績を作る。組む人だと周りに知られている。そうした小さなことが、鹿狩りでは決定的に効きます。
いま、この問いが出てくる場所
新しい規格が普及するかどうかは、この形です。みんなが使えば便利だが、自分だけ使っても意味がない。性能ではなく、他の人が使うと思えるかどうかで決まります。
職場で誰かが先に本音を言うか、地域で誰かが先に手を挙げるか。先に動くと損をする可能性がある場面は、たいてい鹿狩りです。
そしてこの種の問題は、絶望的ではありません。少人数なら、きっかけ一つで全員がよいほうへ動きます。 人数が増えるほど、合図は効きにくくなります。