社員100人の会社で、週2日の在宅勤務を続けるか全員出社に戻すかを全社投票で決めました。結果は出社51、在宅49。 決まった働き方は、全員に適用されます。
在宅に入れた49人のうち11人は、家族の介護や自分の通院があり、出社の日が増えると勤務を続けにくいと答えています。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
社員100人の会社で、週2日の在宅勤務を続けるか全員出社に戻すかを、全社投票で決めました。投票は1人1票です。結果は出社51、在宅49。決まった働き方は、全員に当てはまります。在宅に入れた49人のうち11人は、家族の介護や自分の通院があり、出社の日が増えると勤務を続けにくいと答えています。
この結果を、どう扱いますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
多数決が正しいとされる理由
多数決を支える理屈は、いくつかあります。
一つは、より多くの人が望むほうを選べば、満足の総量が大きくなるというものです。功利主義の発想です。
もう一つは、コンドルセが示したもので、各人が正解を当てる確率が5割を超えているなら、多数派の判断は人数が増えるほど正確になるというものです。これは数学的に正しく、多数決に強い根拠を与えます。
ただし条件があります。問題に正解があること。各人が独立に判断していること。 どちらも、現実の投票では成り立たないことが多い。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
数で決める。51人と49人なら多い側を取る。手続きとして明快で、結果が速く出ます。 この明快さ自体が価値です。
程度で見る。全員出社と全員在宅の間に置く。2つに割るから49人が消える。選択肢を二択にしたこと自体を問題視する立場です。週2日と全員出社の二択にせず、週1日や隔週まで刻んで選ばせていれば、51対49にはならなかったかもしれません。
本人が決める。働き方は一人ひとりが選ぶ形にする。当人の事情は当人にしか分からない。ミルの自由論の立場で、そもそも全員一律で決める必要があるのかを問い直します。
弱い側に寄せる。出社が難しい11人に合わせて在宅を残す。多数決で負けた側に、失うものが大きい人がいる場合を拾う考え方です。49人にとっては不便ですが、11人にとっては働き続けられるかどうかの話になります。
多数派が正しいとは限らない
トクヴィルは、アメリカを観察して多数の暴政という言葉を残しました。
彼が恐れたのは、王の専制よりも多数派の専制でした。王の命令には抵抗できますが、世論には抵抗の足場がありません。 多数派に反する意見は、禁じられるのではなく、言っても無視されるようになる。
ミルも同じ心配をしていました。だから彼は、多数決で決めてよい範囲そのものに線を引こうとしました。他人に害を与えないかぎり、個人のことは多数決の外に置く。
多数決の問題は、数え方より、何を多数決にかけるかの側にあります。
51対49が重いのは、勝ち負けが全部だからです
この例で引っかかるのは、2票差なのに結果が100対0になる点です。
多数決は、51の意思を100に拡大し、49の意思を0に縮小します。票の差は僅かでも、結果の差は最大になります。
だから、影響が全員に及ぶ決定ほど、多数決以外の要素を入れる工夫が要ります。3分の2以上を必要とする、少数側に例外を認める、期限を切って見直す。
多いほうを取るという規則そのものは正しくても、それだけで運用すると、49人の生活が2票で消えます。