駅前で人が倒れています。まわりには30人ほどが立ち止まって、その様子を見ています。誰も動きません。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
駅前で人が倒れています。まわりには30人ほどが立ち止まって、その様子を見ています。誰も動きません。
あなたは、駆け寄りますか。
この問いには答えがあります。ただ、ほとんどの人が同じところでつまずきます。
人数が増えるほど、助けが遅れます
心理学者ジョン・ダーリーとビブ・ラタネが1968年から調べました。
参加者を別室に一人ずつ入れ、通話で会話させます。途中で一人が発作を起こしたように演じる。通話相手が自分だけだと信じている場合、85%が助けに動きました。 他にも4人いると思っている場合は、31%まで落ちます。
人数が増えるほど、助けが減る。 しかも、動いた人の反応時間も遅くなります。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
人柄で決まる。人が何人いようと、自分がどうするかは変わらない。ほとんどの人が自分はこうすると答え、実際にはそうならないことがある。 シンガーは、助けられる立場にいるなら助ける義務があると論じました。周りに何人いるかは、その義務を薄めません。
状況で決まる。人が多いほど、誰かがやると思ってしまう。ダーリーとラタネの結論です。責任が人数で割られるという言い方をします。30人いれば、自分の取り分は30分の1になる。
決め方をそろえる。誰か一人を名指しして救急車を頼む。これが実際に効きます。 「そこの青いシャツの方、救急車をお願いします」と言えば、責任の分割が止まります。救命講習で必ず教わる手順です。
手がかりで決める。何が起きているか分からないうちは動かない。慎重さは悪いことではありませんが、この場面では致命的に働きます。 全員が慎重にしていると、誰も情報を持てません。
「みんなが動かない」が情報になってしまう
もう一つの仕組みがあります。他人の反応を、状況判断の材料にしてしまうことです。
倒れている人を見て、まわりが誰も動いていないと、たいしたことではないのだろうと解釈します。ところが、まわりの人も同じことを考えています。
全員が全員を見て「大丈夫そうだ」と判断する。誰も情報を持っていないのに、集団としては大丈夫だという結論に着きます。 これを多元的無知と呼びます。
「溺れる子」の問いと、正面からぶつかります
哲学者ピーター・シンガーは、目の前で子どもが溺れていたら誰でも助けるはずだと書きました。助けるのが当然なら、遠くで飢えている子を救うのも同じはずだ。 そこから、寄付は義務だという結論を引き出します。
傍観者効果は、その土台のほうを揺らします。目の前でも、条件次第で助けません。
ただし、これはシンガーの議論を壊すというより、助けない理由が冷淡さではなく構造だと分かるということです。人が悪いのではないなら、構造を直せばよい。
いま、この問いが出てくる場所
オンラインでは、この効果が極端に出ます。炎上している場に何万人いても、一人あたりが止めに入る確率は下がります。 人数が多いほど、自分が言う理由が薄れる。
職場でも同じです。全員宛のメールは対応が遅れ、一人宛のメールはすぐ動きます。宛先を絞ることが、そのまま行動を生みます。
対策は道徳ではなく、名指しです。誰か、ではなく、あなた。