専門編 · 20世紀の哲学者たち · 第69章
ハイデガー:『存在と時間』を読む
1927年、フライブルク大学のハイデガーは、未完の状態で『存在と時間』を恩師フッサールに献呈しました。500ページ近いこの書は哲学界に衝撃を与え、彼はわずか数年でフッサールの後継として教授職を引き継ぎます。本章では、20世紀哲学の地形を塗り替えたこの書物の核心と、著者を生涯影に置き続けた政治的選択を辿ります。
道具と世界内存在 — ハンマーが教えてくれること
ハイデガーが最初に揺さぶったのは、デカルト以来の「主観が客観に向き合う」という認識論的構図でした。机に向かい、目の前のリンゴを観察する。この光景がいかに作為的か。私たちの普段の経験は、見る前にすでに使っている。机の上のハンマーを意識せずに釘を打ち、ペンを意識せずに文字を書く。世界はまず「観察される対象の集合」ではなく、「使うべき道具の連関」として現れている、と彼は論じました。
ハンマーが壊れて初めて、それが「物」として目に入る。日常の道具的連関がほつれる瞬間にだけ、デカルト的な主観・客観の関係が浮上するのです。世界内存在(In-der-Welt-sein)という概念は、私たちが世界の外から覗き込む観察者ではなく、すでに世界に巻き込まれて生きている存在者だという根本事実を捉えています。これは現代の認知科学が「身体化された認知」を語る際の、80年早い哲学的下絵でもあります。
不安と死への存在 — 世人から本来性へ
日常の世界内存在は、しばしば「世人(das Man)」のおしゃべりのなかで自分を忘れています。電車で隣の人がスマホを見ているから自分も見る、噂話に乗じて誰かを批判する、流行を追って買い物する。誰のものでもない平均的な振る舞いが、自分の存在を肩代わりしている状態です。ここから自分自身を取り戻す契機として、ハイデガーが取り上げるのが「不安」と「死」でした。
不安はある特定の対象への恐怖とは違い、すべてが意味を失って世界全体が薄ぼんやりと迫ってくる経験です。この不安のなかで、慣れ親しんだ意味の網の目が一度ほどけ、自分が「投げ込まれている」事実が露わになります。さらに死は、誰も肩代わりできない最も固有な可能性として、自分の生を全体として意識させる契機です。死を直視することからしか、本来的な生は始まらない、というのが彼のラディカルな主張でした。
1933年の学長就任 — 思想と政治の最も暗い接点
1933年4月、ナチ政権成立直後にハイデガーはフライブルク大学長に就任します。5月の就任演説「ドイツ大学の自己主張」は、大学が祖国のための「労働奉仕・軍務奉仕・知の奉仕」を担うべきだと説き、ナチ式の敬礼で結ばれました。同月にナチ党に入党し、翌1934年に学長を辞任しますが、党員のまま敗戦を迎えます。
2014年から刊行が始まった「黒ノート(Schwarze Hefte)」と呼ばれる私的覚書群には、明白な反ユダヤ主義的記述が含まれており、彼の思想と政治の関係は今も激しく論争されています。「存在の歴史」という壮大な物語が、ある時期どのように国家社会主義と接続したのか。哲学が政治に取り込まれる危険を最も濃密に体現した事例として、ハイデガーの軌跡は哲学を学ぶ者すべてに重い問いを投げかけ続けます。
後期の転回 — 詩と技術への問い
1930年代後半以降、ハイデガーの思考は「転回(Kehre)」と呼ばれる移行を経験します。現存在の側から存在を問う前期の枠組みから、存在の側から人間が呼びかけられているという受動的な姿勢へ。彼はヘルダーリンの詩を繰り返し読み、ソフォクレスやリルケを論じました。「詩人が指し示すところに思惟は耳を澄ます」という独特の言い回しが目立つようになります。
1953年の講演「技術への問い」は、現代技術が世界を「徴用備蓄(Gestell)」として枠にはめ、すべてをエネルギー源として動員する事態を診断しました。原子力発電所も観光地化された風景も、同じ徴用の論理に貫かれている。1976年のシュピーゲル誌での死後インタビュー「もはや神のみがわれわれを救いうる」は、彼の最後の言葉として知られます。次章では、彼と並ぶもう一人の20世紀の巨人、ウィトゲンシュタインに進みます。
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