『ハイラスとフィロナスの三つの対話』
はいらすとふぃろなすのみっつのたいわ
ジョージ・バークリ·近代
非物質論を平易に展開する対話篇の主著
この著作について
1713年に刊行されたバークリの対話篇。物質主義者ハイラスと観念論者フィロナスが三度にわたって議論を交わし、知覚されざるものは存在しないという非物質論を平易に展開する。
【内容】
第一対話では感覚的諸性質が知覚に依存することが論証される。熱・色・味・音などの第二性質はもとより、形・運動・延長といった第一性質も、ロックが想定したような物質的実体に属するのではなく、知覚作用と切り離せないと示される。第二対話では神の知覚による事物の存在保証が論じられ、第三対話では懐疑論への陥落を防ぐ立場として観念論こそが常識に近いと弁明される。対話形式により議論の流れが追いやすく、入門書的色彩が強い。
【影響と意義】
『人知原理論』と並ぶバークリの主著として位置づけられ、英国経験論の展開におけるロックとヒュームの中継点を成す。ヒュームの懐疑論はバークリの議論を引き継いで形成された。日本語訳は戸田剛文訳の岩波文庫版が定評ある。
【なぜ今読むか】
物質と知覚の関係を根本から問い直す思考実験として、現代の心の哲学・知覚論にも直結する論点が並ぶ。対話形式の明快さは哲学初学者にとって最良の入口になる。
どの訳で読むか
文庫で読むなら岩波文庫の戸田訳である。1984年に薩摩書館から出た名越悦・名越諭訳もあり、国立国会図書館の本登録をすれば、デジタルコレクションの個人送信サービスで読める。
戸田剛文訳岩波書店・岩波文庫、2008年
Amazonで探す岩波文庫の青618-2。2008年4月刊で、国立国会図書館の書誌では310頁。版元の紹介は、『人知原理論』『視覚新論』と三大主著をなす対話篇で、1713年刊の絶好の哲学入門書と説明している。
名越悦・名越諭訳薩摩書館、1984年
Amazonで探す題は「ハイラスとフィロナスとの三つの対話」で、「の」が「との」になっている。1984年11月刊、234頁(国立国会図書館の書誌)。新刊としての流通は確かめられていない。国立国会図書館の本登録をした人は、デジタルコレクションの個人送信サービスで閲覧できる(日本国外からは使えない)。
このほか、宮武昭が中央大学文学部紀要に『ハイラスとフィロナスの三つの対話』の訳と注解を連載している(2008年3月から2011年2月、通号222、227、232、237の4回)。書籍ではなく論文で、国立国会図書館では館内限定公開である。
さらに深く
【内容のあらまし】
早朝の庭で、眠れずに散歩に出てきたハイラスにフィロナスが出会い、朝をたたえる。ゆうべの話の席で、物質的実体など世界に無いという途方もない説の持ち主と噂されたのは、このフィロナスだった。バークリの代弁者である彼は、無いと確信しているのは哲学者たちが物質的実体と呼ぶものだと答える。二人は、吟味して常識に最もかない、懐疑論から最も遠いと見えた説を正しいと認めようと約束し、どちらが本当の懐疑論者かを確かめにかかる。
第一対話は、感覚が直接とらえるものだけを感覚的事物と呼ぶ取り決めから始まる。激しい熱は苦痛にほかならず、苦痛は感じる者の中にしかない。穏やかな熱なら外にあると逃げても、片手を温め片手を冷やして同じ水に入れれば、水は冷たくも温かくもなるはずだと詰められる。味や音や色も心の中のものだと認め、雲の赤や紫は近づけば消える見かけの色だと認める。ハイラスは延長や運動は物そのものにあると踏みとどまるが、ダニには自分の足が大きく見えるはずだと言われ、いったん譲る。基体が性質の「下に広がる」とはどういう意味かと詰められ、誰もいない場所の木を思い浮かべても、思い浮かべているのは自分だと気づく。観念は物質の写しだと言い直しても、観念に似るのは観念だけだと返され、「少なくとも今は黙らされた」と認めたところで、学寮の鐘が鳴る。
第二対話のハイラスは、見直すほど議論は明らかになったと打ち明ける。刺激が神経を伝わって脳に痕跡を残すという当世風の説明を持ち出すが、その脳も感覚される物にすぎないと返される。フィロナスは、野の緑から星々までをたたえて懐疑を責め、感覚される物は自分の思考に依存しない以上、それを宿す別の心があるはずだと論じる。ハイラスは物質を原因、道具、機会と言い換えて守るが、ついには何かあるもの一般になり、物質は不可能だと認める。
第三対話のハイラスは、何ひとつ知りえないという懐疑に沈んで現れる。フィロナスは、自分は感覚を信じる素朴な側で、雪は白く火は熱いと思うと答える。ハイラスは、二人が同じ物を見られるのかと迫る。フィロナスは同じという語の使い方の問題だとかわし、さくらんぼは柔らかさや赤さの集まりで、感覚と別の未知の本性を指すなら誰にも存在は確かめられないと言う。モーセの天地創造との食い違いを問われると、モーセが挙げるのは日や月や草木といった感覚される物だと応じる。最後に彼は向こうの噴水を例に出す。水は丸い柱となって吹き上がり、砕けて元の水盤へ落ちる。昇るのも落ちるのも同じ重力の法則による。懐疑へ導くかに見えた原理も、ある点まで突きつめれば人を常識へ連れ戻す、と結ばれる。
著者
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