『死に至る病』
しに いたるやまい
キルケゴール·近代
絶望を分析し信仰の意味を問うた実存主義の先駆
この著作について
キルケゴールが1849年に仮名アンチ・クリマクスで公刊した、絶望を主題とする実存思想の中核的著作。
【内容】
冒頭で「自己とは自己自身に関係する関係である」という難解な定義が提示され、ここから議論が組み立てられる。人は有限と無限、時間と永遠、自由と必然という対立する要素を総合する存在であり、その総合が失敗する状態を絶望と呼ぶ。絶望は「自己であろうとしない(弱さ)」「自己であろうとする(反抗)」という大きな二類型に分けられ、さらに細かく分類される。タイトルの『死に至る病』とは肉体的な死ではなく、魂が自分自身と向き合うことに失敗する精神の病を指す。治癒の道は、自己を定立した力の前で透明になる信仰にあるとされる。
【影響と意義】
キルケゴール自身がヘーゲルの体系哲学に対抗して「単独者」の立場から書き直した人間学。ハイデガーの「不安」、サルトルの「自己欺瞞」、ヤスパースの「限界状況」、ティリッヒの「存在の勇気」など、20世紀実存思想の基本概念はほぼすべてここから派生している。現代の精神病理学・臨床心理学にも深い影を落とす。
【なぜ今読むか】
「自分が絶望していることにすら気づかないのが最も深い絶望である」という逆説は、自己点検の鋭い道具になる。宗教的前提を脇に置いても、現代の生きづらさ論として切実に響く。
さらに深く
【内容のあらまし】
書き出しから難解だ。「自己とは自己自身に関係する関係である」と。人間は有限と無限、時間と永遠、必然と自由という対立する諸契機を、ただ並べて持つのではなく、自分自身に関係しながら総合する関係性そのものだ、という独特の人間学が提示される。さらにこの自己は、自分で自分を立てたのではなく、他なる力によって立てられている。だから自己が健全でいるためには、自分を立てた力の前に透明であることが要る。この基本構図が以下の議論を貫く。
ここから絶望の現象学が始まる。絶望はまず大きく二つに分けられる。自己であることを欲しない弱さの絶望、そして反抗的に自己であろうとする強さの絶望だ。さらに有限と無限の不均衡、必然と可能の不均衡というかたちで細かく類型化される。可能性ばかり追って現実に降りられない夢想家、必然に押しつぶされて可能を見失う卑屈な精神。それぞれの病理が文学的な筆致で描かれる。
忘れがたいのは、絶望の自覚と非自覚の段階づけだ。自分が絶望していることに気づかずに快適に暮らしているのが、もっとも深い絶望である。気づかれない絶望は、ちょうど結核のように内部で進行する。気づいたうえで自己であることを拒む絶望、そして気づいたうえで自分の力で自己を立て直そうとする反抗の絶望と、内面化が進むほど病は重くなる。
第二部では絶望が罪として捉え直される。神の前に立つことを拒む状態こそが罪だ、というキリスト教的視座が導入される。罪を自覚しながらも反抗を続ける段階、罪の赦しに躓く段階、キリスト教そのものを攻撃する段階と、絶望はますます徹底される。治癒の道は唯一、自己を定立した力の前で透明になる信仰にあるとされ、本書は信仰への呼びかけとして閉じられる。
著者
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