『偶然性の問題』
ぐうぜんせいのもんだい
九鬼周造·現代
偶然性の概念を哲学史的・体系的に分析した九鬼の主著
この著作について
九鬼周造(くきしゅうぞう)が1935年に京都帝国大学に提出した博士論文をもとに刊行された、偶然性を主題とする本格的な哲学書。九鬼が『「いき」の構造』で示した日本文化論と並ぶ主著であり、西洋哲学の枠組みを借りつつ日本の感性で偶然の問題を捉え直した稀有な作品。
【内容】
九鬼は偶然性を「定言的偶然」「仮説的偶然」「離接的偶然」の三つに分類し、それぞれ分類・因果・論理の各レベルで必然性の裏返しとして現れる偶然を丁寧に解きほぐす。続いて偶然性と必然性、可能性、形而上学的絶対者との関係を論じ、最後に「汝と汝との邂逅」こそ人間の実存における根本的な偶然であると位置づけた。出会いや運命といった日常的感覚を、厳密な哲学的概念として彫り上げた点が特徴的である。
【影響と意義】
西田幾多郎や田辺元と並ぶ京都学派の代表的業績の一つで、偶然と必然の関係を独自の視点で扱った数少ない日本語哲学書として今も参照される。近年の「邂逅」や「運命」の哲学の議論のなかでも再読されている。
【なぜ今読むか】
たまたまの出会い、選ばれなかった人生の枝分かれ、偶然の事故。現代人が直感的に抱く「偶然」の感覚を、ここまで精緻に概念化した哲学書は他にない。自分の人生を見つめ直す補助線として読みたい。
さらに深く
【内容のあらまし】
本書は本論四章と序論からなる。九鬼はまず「偶然」という日常語を哲学の俎上に載せ、必然・可能・現実といった様相概念との関係を問い直す。出発点はアリストテレス『形而上学』の偶有性論である。「人間は二本足で歩く」のように本質に属する規定と、「あの人は今日たまたま白い服を着ている」のように本質に属さない規定の区別から、偶然性の論理的な座標が定められる。
第一章「定言的偶然」では、分類の体系における偶然が論じられる。ある個物がある類に属するのは必然だが、その類のなかでこの個体が選ばれたのは偶然である。たとえば「人間は理性的動物である」は本質的だが、「この人物がほかならぬ田中である」は偶有的である。九鬼はここで、ライプニッツのモナドや個体化の原理にまで遡り、個体としての偶然性を、論理学と存在論の交差点で抉り出す。
第二章「仮説的偶然」では、因果の連鎖における偶然が扱われる。AならばBという因果の鎖が二つあり、それぞれは必然的でも、両者がたまたま交差したときに「偶然の出来事」が起こる。屋根瓦が落ちる過程と通行人が下を歩く過程、それぞれは独立した因果系列だが、二つが交差する一点で「事故」が生じる。九鬼はこの分析を、ボワソナードからクルノーに至る確率論や、ベルクソンの持続論と接続させる。
第三章「離接的偶然」は、論理学の選言判断における偶然である。複数の可能性が並列するなかで、いずれか一つが現実化することの偶然性が問われる。ここから九鬼は形而上学的偶然へ進み、世界の存在そのものが必然ではなく偶然でありうるという問いに到達する。「なぜ何かが在って無ではないのか」という問いは、ライプニッツやハイデガーの問いと交差する。
結章で論述は実存の次元に降りる。偶然性の最も鋭い顕現は「邂逅」、すなわち他者との出会いにある。汝と汝とがたまたま同じ時、同じ場所で出会うこと。この一回性が結婚や友情や運命の感情を生み、そこから愛と運命の倫理学が立ち上がる。九鬼は最後に、偶然を必然へと読み替え、運命として引き受ける態度に「諦念に似た優雅さ」を見いだして筆を置く。