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普遍論争:赤さそのものは、どこにありますか

この花も、あの車も赤い。共通する赤さは実在するのか、それとも名前があるだけなのか。中世を二分した論争。

この花は赤い。あの車も赤い。二つに共通する赤さは、どこにあるでしょうか。

花と車のほかに、赤さそのものがどこかにあるのでしょうか。

まずは選んでみてください。

まず、選んでみる

この花は赤い。あの車も赤い。二つに共通する赤さは、どこにあるでしょうか。花と車のほかに、赤さそのものがどこかにあるのでしょうか。

赤さは、存在しますか。

正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。

中世を二分した論争

この問いは、中世ヨーロッパの大学で数世紀にわたって論じられました。普遍論争と呼ばれます。

出発点はプラトンです。彼は、赤さや正義といった普遍的なものが、個々のものとは別に実在すると考えました。イデアです。

アリストテレスは修正します。普遍は実在するが、個々のものの中にしかない。 赤さは赤い物のなかにあり、独立して浮かんでいるわけではない。

三つ目の道は11世紀のロスケリヌス以来あり、14世紀のオッカムがそれを最も強い形に仕上げます。実在するのは個々のものだけで、普遍は名前にすぎない。

4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている

かたちで決める。個々のものとは別に、赤さそのものがある。プラトンの実在論です。赤い花や赤い車が一つ残らず失われても、赤さのほうは失われない。個物より、そこに現れているかたちのほうを本体とみなします。

言葉の問題とみる。あるのは赤いものだけで、赤さは名前にすぎない。オッカムの唯名論です。彼は、不必要に存在を増やすなという原則でも知られています。オッカムの剃刀と呼ばれるものです。

素材で決める。個々のものの中にだけあり、独立しては無い。アリストテレスと、それを受けたトマス・アクィナスの立場です。赤さは実在するが、赤い物のなかにしか場所を持たない。プラトンとの違いは、赤さが物を離れて独立に存在するかどうかの一点にあります。

定義を疑う。存在するとは何かが、先に必要だ。存在するとはどういうことかを決めないまま進めたことが、この論争が数百年も続いた理由でもあります。

神学の問題でもありました

なぜ中世の人々がここまで熱心に論じたのか。信仰に直結していたからです。

三位一体をどう理解するか。父と子と聖霊が一つであるとはどういうことか。 普遍が実在するかどうかで、答え方が変わります。

原罪もそうです。人類という普遍が実在するなら、一人の罪が全体に及ぶという説明ができます。実在しないなら、その説明は成り立ちません。

抽象的な議論に見えて、当時の中心的な教義を支えていました。

いまも決着していません

現代の形而上学でも、この論争は続いています。

赤さのような性質は実在するのか。 数や集合は実在するのか。科学法則は実在するのか、それとも便利な記述にすぎないのか。

唯名論は節約的で魅力的ですが、なぜ違うものが同じ言葉で呼べるのかを説明しにくい。 実在論は説明力がありますが、目に見えないものを大量に世界に置くことになります。

いま、この問いが出てくる場所

分類は、あらゆる制度の土台です。この人はどのカテゴリに属するか。 病名、職種、資格、統計上の区分。

分類が実在を切り分けているのか、それとも私たちが線を引いているだけなのか。普遍論争は、この問いの原型です。

そして扱いが変わります。発見された区分なら動かせません。作った区分なら、作り直せます。

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