壁の時計を見て、いま3時だと信じました。時計は3時を指していて、実際に3時でした。
ところがその時計は昨日から止まっていて、たまたま24時間前と同じ時刻を指していただけでした。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
壁の時計を見て、いま3時だと信じました。時計は3時を指していて、実際に3時でした。ところがその時計は昨日から止まっていて、たまたま24時間前と同じ時刻を指していただけでした。
その人は、いまが3時だと知っていましたか。
この問いには答えがあります。ただ、ほとんどの人が同じところでつまずきます。
三ページの論文が、定義を壊しました
20世紀の半ばには、知識を三つの条件で定義する形が、教科書的な整理としてよく語られていました。正当化された、真なる、信念。 プラトンも『テアイテトス』で似た形を検討していますが、そこでは退けられたまま終わります。ただし、これが当時ほんとうに定説だったのかは疑われていて、むしろ批判する側が後から整理して名指しした形だ、という指摘もあります。
信じていること。それが実際に正しいこと。信じるだけの根拠があること。この三つが揃えば知識だとされてきました。
1963年、エドマンド・ゲティアが三ページの論文を発表します。三つの条件を満たしているのに知識とは呼べない例を、二つ挙げただけの短いものでした。
この論文は、当時よく参照されていた定義を機能不全にしました。 哲学史上、これほど短い論文で大きな影響を与えた例は多くありません。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
筋道に従う。正しく信じていて、根拠もあったのだから条件は満たしている。三つの条件を、書いてあるとおりに適用する立場です。定義を書き換えずに済みますが、多くの人の直観に反します。
定義を疑う。当たったのは偶然で、根拠が本当の理由になっていない。ゲティアの指摘です。信念と真理が、根拠を通じてつながっていない。三つでは足りないなら、足りないのは知識という言葉の定め方のほうです。
手がかりで決める。止まった時計は、手がかりとして働いていない。根拠の質を問う答えで、四つ目の条件を足す方向につながります。
決めない。決め手になる線が、まだ引けていない。60年たった現状に、いちばん近い答えです。
四つ目の条件を探す試み
論文が出てから、四つ目の条件を足す提案がいくつも出されました。
偽の前提を経由していないこと。 信じる過程が信頼できる方法によっていること。 少し状況が違っていても間違えなかったであろうこと。
どの提案にも、それを回避する新しい反例が作られました。この応酬は数十年続き、決着していません。
近年では、知識を三つの条件に分解すること自体をやめるという立場も現れています。知識は、より基本的な何かに分解できない、と。
「たまたま正しい」の境目
日常でも、この区別は使われています。
当てずっぽうで正解した生徒は、分かっていたとは言えません。 過程が伴っていないからです。
予想が当たった評論家も、当てたことと分かっていたことは別です。
ゲティアの例が示したのは、根拠があっても偶然でありうるということでした。当てずっぽうでなくても、当たり方が偶然なら知識ではない。
いま、この問いが出てくる場所
正しい答えを出す仕組みが、正しい理由で出しているかどうかは、外からは分かりません。
統計的な相関だけで当ててくるものは、ゲティア的な状態にあります。 答えは合っている。根拠らしきものもある。ただし、当たっているのは偶然かもしれない。
止まった時計と同じで、次の一回で外れるまで、区別がつきません。