十分に進んだ文明は、意識を持つ人が暮らす世界をコンピュータの中に作れるようになる。作れるなら、たくさん作るでしょう。
すると、本物の世界はひとつなのに、作られた世界は無数にあることになります。無作為に選ばれた「どこかの世界の住人」が本物側にいる確率は、限りなく小さい。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
十分に進んだ文明は、意識を持つ人が暮らす世界をコンピュータの中に作れるようになります。作れるなら、たくさん作るでしょう。すると、本物の世界はひとつなのに、作られた世界は無数にあることになります。
この世界は、本物ですか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この問いを作った人
スウェーデン出身の哲学者ニック・ボストロムが2003年に定式化しました。
よく誤解されますが、ボストロムは「この世界は作り物だ」とは言っていません。 彼が示したのは、次の三つのうち少なくとも一つは正しい、ということです。
一つ、文明はそこまで進む前にほぼ必ず滅びる。二つ、進んだ文明はそういう世界を作らない。三つ、私たちはほぼ確実に作られた世界にいる。
どれも受け入れがたい。 そこが議論の面白さで、どれを選ぶかで世界の見え方が変わります。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
手がかりで決める。数の話は、いま目の前にあるものを疑う手がかりにはならない。確率の議論だけで具体的な疑いは生まれないという立場です。宝くじの当選者は「自分が当たる確率は低かった」と言えますが、だから当選が偽だとは言いません。
判断を保留する。内側にいる者には、外側を確かめる方法が無い。水槽の脳と同じ構造で、決めないという答えが正確な態度になります。
暮らしで決める。作られた世界でも、そこで痛みも喜びも本当に起きている。シミュレーションの中の苦しみは、シミュレーションの苦しみではなく苦しみです。 中にいる者にとって、外側の事情は何も変えません。
筋道に従う。受け入れがたくても、数え上げがそう言うなら作られた側だ。ボストロムの三択の三つ目を、そのまま引き受ける立場です。前提と推論に穴がないなら、結論の異様さを理由に引き返さない。疑うのは結論ではなく、こちらの直観のほうだと考えます。
「確率が高い」という言い方の弱点
この議論のいちばん危ういところは、確率をどう数えているかです。
作られた世界の数を数えるには、作る側の文明がいくつあって、いくつ作るかを知る必要があります。どちらも分かりません。 分からない数どうしの比を取って「ほぼ確実」と言うのは、計算というより見立てです。
ボストロム自身はこの点に慎重で、だから三択の形にしました。断定を避けたのは正しかったのですが、世間に広まったのは三つ目だけでした。
いま、この問いが出てくる場所
生成AIが作る世界の解像度が上がるほど、この問いは実感を伴います。ただ、哲学として新しい部分はほとんどありません。すべてを欺く悪霊が偽の世界を見せているかもしれない、というデカルトの想定から400年近く、構造は同じです。
新しいのは、作る側になれるかもしれないという点です。もし意識を持つ存在を作れるなら、その世界をどう扱うべきかという倫理が発生します。
疑う側の問いだったものが、いずれ作る側の問いになります。そのときには、答えを出さないわけにいきません。