動かしたくなったら指を動かしてください、とだけ言われます。脳波を測ると、動かそうと本人が意識するより約0.3秒早く、脳がすでに準備を始めていました。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
動かしたくなったら指を動かしてください、とだけ言われます。脳波を測ると、動かそうと本人が意識するより約0.3秒早く、脳がすでに準備を始めていました。
指を動かすと決めたのは、あなたですか。
この問いには答えがあります。ただ、ほとんどの人が同じところでつまずきます。
実際に測った人がいます
生理学者ベンジャミン・リベットが1983年に発表しました。
方法はこうです。参加者は特殊な時計を見ながら、好きなときに指を動かします。動かそうと思った瞬間に、時計の針がどこにあったかを報告してもらう。 同時に脳波を測る。
結果、脳の準備電位は、本人が「思った」と報告する時刻より約350ミリ秒早く立ち上がっていました。決めたと思ったときには、脳はもう動き出していた。
リベット本人は、自由意志を否定していません
ここが誤解されやすいところです。
彼は同時に、動かそうと意識してから実際に動くまでのあいだなら、止められると考えました。準備電位の立ち上がりから動作までは合わせて約550ミリ秒で、意識が現れるのはその終わりに近いところです。ただしリベット自身は、最後の約50ミリ秒は運動指令が脊髄へ向かう区間で、そこに入るともう止められないと但し書きをつけ、実際に拒否に使えるのは100ミリ秒ほどだとしています。開始は決められなくても、拒否はできる。自由意志ではなく自由拒否という言い方をしています。
つまり彼の結論は、意識に決定権が無いというより、意識の役割が発案者ではなく検閲官のほうにあるというものでした。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
本人が決める。脳が準備しても、最後にやめる余地は残っている。リベット自身の答えです。始めることは決められなくても、始まったものを止めることはできる。決定権を、発案の側ではなく拒否の側に置きます。
起きたことで決める。決めたのは脳で、意識はあとから知らされただけだ。強い決定論の読み方で、スピノザに近い。彼は、人が自由だと感じるのは自分の行為の原因を知らないからだと書きました。
手がかりで決める。0.3秒という測り方に、どこまで意味があるか分からない。この批判は強力です。 「思った瞬間」を時計で報告させることの精度、指を動かすという些細な行為を人生の決断に広げてよいのか。多くの再検討がここを突いています。
素材で決める。脳も私の一部なのだから、脳が決めたなら私が決めたことになる。問いの立て方そのものを崩す答えで、これがいちばん見落とされます。
「脳が決めた」と「私が決めた」は対立するのか
4つ目の答えが効いています。
この実験が衝撃的に感じられるのは、脳と私を別のものとして考えているからです。脳が先に動いたなら、私は後回しにされた気がする。
ですが脳は私です。私が決めるとき、それは脳が決めるということ以外の何かではありません。 そう考えれば、0.3秒の差は「私の中の順番」でしかなく、私が外されたことにはなりません。
カントは、自由を自然の因果とは別の次元に置くことで、この対立を回避しようとしました。因果の世界では決まっていても、道徳の世界では自由でありうる、と。
いま、この問いが出てくる場所
刑事責任は、行為者が別の選択もできたことを前提にしています。脳の状態を根拠に責任を減じる主張は、実際に法廷で出てきています。
ただし、リベットの実験からそこまで一足飛びに行くのは無理があります。指を動かす0.3秒と、計画的な行為の責任は、距離が離れすぎています。
この実験がいちばん確かに示したのは、自分が決めたという感覚が、決定そのものと同じではないということです。感覚のほうは、あとから来ます。