この文は偽である。
真なら、書いてあるとおり偽になります。偽なら、書いてあることが外れているので真になります。
たった一行で、真か偽かという枠組みが壊れます。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
この文は偽である。もしこの文が真なら、書いてあるとおり偽になります。もし偽なら、書いてあることが外れているので真になります。
この文は、真ですか偽ですか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
古代からある問いです
紀元前4世紀のエウブリデスに帰されます。クレタ人が「クレタ人はみな嘘つきだ」と言った、という形でも伝わっています。
ただし後者は、厳密にはパラドックスになりません。クレタ人に一人でも正直者がいれば、この文はただの偽です。 自己言及が完全に閉じていない。
この文は偽であるという形にして初めて、逃げ道がなくなります。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
筋道に従う。真でも偽でもない値を認めるほうが、筋が通る。二値原理を捨てるという選択です。結論がどれだけ据わりが悪くても、矛盾しない体系のほうを取ります。ただしこれには、強化された嘘つきという反撃があります。「この文は真ではない」と書けば、第三の値でも矛盾が戻ってきます。
言葉の問題とみる。自分を指す文を許したことが誤りだ。タルスキの解決がこれで、言語を階層に分け、ある層の真偽はその上の層でしか語れないとします。厳密ですが、日常の言葉はそうなっていません。
決めない。決める手立てがない。素直な保留です。ただしこの文は、保留しても消えてくれません。真とも偽とも決めずに置いた瞬間、では真ではないのかと問い直され、そこからまた同じ往復が始まります。
定義を疑う。真とは何かをどう定めるかで変わる。この問いが本当に突いているのは、真理の定義のほうだという見方です。
この一行が、数学を揺らしました
嘘つきのパラドックスは、言葉遊びに見えて、20世紀の論理学の中心にいます。
ゲーデルは、この自己言及の構造を数学の言語の中で作り出しました。**「この命題は証明できない」**という趣旨のことを、算術の言葉で書いてみせたのです。
そこから出た結論が、不完全性定理です。無矛盾で、公理を機械的に列挙でき、算術を含むほど強い体系には、証明も反証もできない命題が必ずある。
嘘つきのパラドックスを、矛盾ではなく道具に変えた。 これがゲーデルの仕事でした。
逃げられない理由
普通の矛盾なら、前提のどれかを捨てれば済みます。この文には、捨てられる前提がほとんどありません。
文があること。真か偽かがあること。文が自分について語れること。このどれを捨てても、大きな代償が生じます。
だから解決策はどれも、何かを諦める形になります。二値を諦めるか、自己言及を諦めるか、真理の素朴な定義を諦めるか。
いま、この問いが出てくる場所
自己言及は、計算機にとって身近な構造です。プログラムが自分自身を入力として扱えることは、計算理論の出発点になっています。
停止性問題という有名な結果も、同じ形をしています。あるプログラムが止まるかどうかを判定するプログラムは作れない。 証明の骨格は、嘘つきのパラドックスとほぼ同じです。
一行の文が、こんなに遠くまで届いています。