自分自身を含まない集合を、すべて集めた集合を考えます。
この集合は、自分自身を含むでしょうか。含むなら、含まないものだけを集めた約束に反します。含まないなら、条件を満たすので含まれるはずです。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
自分自身を含まない集合を、すべて集めた集合を考えます。この集合は、自分自身を含むでしょうか。含むなら、含まないものだけを集めた約束に反します。含まないなら、条件を満たすので含まれるはずです。
この集合は、成り立ちますか。
この問いには答えがあります。ただ、ほとんどの人が同じところでつまずきます。
一通の手紙が、20年の仕事を壊しました
1902年、バートランド・ラッセルはゴットロープ・フレーゲに手紙を書きました。
フレーゲは当時、算術を論理だけから導くという壮大な仕事の第2巻を出版する直前でした。20年以上を注ぎ込んだ体系です。
ラッセルの手紙は短いものでした。あなたの体系では、この集合が作れてしまいます。
フレーゲは第2巻の巻末に、追記を加えて出版しました。著述家にとって、仕事を終えたあとに土台が崩れることほど望ましくない事態はないという趣旨のことを書いています。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
筋道に従う。作れる集合に制限をかければ、この集合は作れなくなる。現代数学が採った道です。どんな条件でも集合が作れるという素朴な発想をやめ、作り方を厳密に規定しました。
言葉の問題とみる。何でも集めてよいという言い方が、そもそも粗かった。同じ解決を、言葉の側から見た言い方です。
定義を疑う。集合とは何かの定め方しだいだ。問いの中心をまっすぐ指しています。 実際、数学が取った解決もこれでした。集合とは何かを決め直し、作ってよいものの範囲を先に書く。矛盾を解いたのではなく、起きない決め方に変えたのです。
暮らしで決める。日常の数え上げには影響しない。実務的には正しい答えです。ただし数学の土台を扱う人には通用しません。
床屋の話に置き換えると
ラッセルの逆理を分かりやすく言い換えたものとして、当時ラッセル自身に提案された例えがあります。ただしラッセルは、これは自分の逆理の有効な言い換えではない、と述べています。
村に床屋が一人います。この床屋は、自分でひげを剃らない人だけのひげを剃ります。
では、床屋のひげは誰が剃るのか。自分で剃るなら、自分で剃る人なので剃ってはいけません。剃らないなら、剃らない人なので剃らなければなりません。
答えは単純です。そんな床屋は存在しません。 話に矛盾があるので、その村は成り立ちません。
そんな床屋はいない、で終われるところが、この例の弱いところです。 集合のほうは、いないと言って済ませられません。数学では作れないと決めるために、そもそも作れるものの範囲を明文化する必要がありました。
土台が崩れることの意味
このパラドックスの重要さは、数学が絶対に確実だという信頼を揺らしたことにあります。
そして修復されたあとも、完全には戻りませんでした。ゲーデルの不完全性定理が続けて示したのは、足し算と掛け算を扱えるだけの数学の体系なら、そこに矛盾が無いかぎり、証明も反証もできない命題が必ず残るということでした。ただし、規則を機械的に数え上げられる体系にかぎった話です。
確実な土台を求めた運動が、確実な土台は無いという結論に着いた。 20世紀前半の論理学は、この落差の物語です。
いま、この問いが出てくる場所
自己を参照する構造は、計算機の中に無数にあります。プログラムが自分自身を扱えることは、便利であると同時に、止まらない可能性を生みます。
ラッセルが見つけたのは、自己言及という仕組みには限界が組み込まれているということでした。その限界は、いまも回避ではなく管理の対象です。