この宇宙のすべては、前の状態と物理法則から決まっているとします。あなたの脳もその一部です。
すると、あなたが今日選んだことも、宇宙が始まった時点で決まっていたことになります。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
この宇宙のすべては、前の状態と物理法則から決まっているとします。あなたの脳もその一部です。すると、あなたが今日選んだことも、宇宙が始まった時点で決まっていたことになります。
あなたの選択は、自由ですか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
三つの立場があります
議論は、大きく三つに分かれています。
両立論は、決定論と自由は両立すると考えます。自由とは、外から強いられていないことであって、原因が無いことではない。あなたが望んだとおりに行動できたなら、それは自由だ。ヒュームがこの立場を明確にしました。
非両立論のうち自由意志を認める側は、決定論が正しいなら自由は無いと考え、そのうえで決定論を否定します。
非両立論のうち決定論を採る側は、決定論を認めたうえで、自由意志は幻だと結論します。スピノザは、人が自由だと感じるのは自分の行為の原因を知らないからだと書きました。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
定義を疑う。外から強いられていないなら、決まっていても自由と呼んでよい。両立論です。自由という言葉の意味を、原因の不在ではなく強制の不在に置きます。
筋道に従う。決まっているなら、選べたことにはならない。素朴な直観でもあり、多くの人が最初に取る答えです。
手がかりで決める。決まっているという前提のほうが、証明されていない。量子力学以降、厳密な決定論は自明ではなくなりました。 ただし偶然が入っても、自由になるとは限りません。サイコロで決まるのも、自由ではない。
人の側の限界とする。因果の外を見ることができない。カントの立場に近い答えです。彼は、自由を経験できる世界の外に置きました。
「別のこともできた」とは何か
議論の要は、できたはずだという言い方の意味にあります。
両立論者は、こう解釈します。もし別のことを望んでいたら、別のことができた。 この意味なら、決定論と両立します。
非両立論者は、こう解釈します。まったく同じ状態から、別のことができた。 この意味なら、決定論とは両立しません。
同じ言葉が、二つの意味で使われている。 論争が長く続いている理由の一つがこれです。
責任は、どちらでも成り立つかもしれません
実務的に重要なのは、責任を問えるかどうかです。
両立論を取れば、責任はそのまま成り立ちます。強いられていない行為には、責任がある。
決定論を取っても、責任の制度を捨てる必要はありません。罰や称賛は、将来の行動に影響を与えるための仕組みだと考えれば、決定論とも矛盾しません。
自由意志の議論の結論が、そのまま制度の結論になるわけではない。 ここは分けて考えられます。
いま、この問いが出てくる場所
脳科学の知見が法廷に持ち込まれる例が増えています。脳の状態が行動を決めていたなら、責任は減じられるのか。
いまのところ、裁判所は慎重です。脳が原因であることと、責任が無いことは違う。 その区別が保てるかどうかが、これからの争点になります。