神がいるかどうかは、理屈では決められないとします。
信じて実際にいれば、無限の幸福を得ます。 信じても神がいなければ、失うのは有限のものだけです。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
神がいるかどうかは、理屈では決められないとします。信じて実際にいれば、無限の幸福を得ます。信じていなければ、無限の損をします。信じても神がいなければ、失うのは有限のものだけです。
この計算で、信じるべきだと言えますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この議論を作った人
ブレーズ・パスカルです。数学者で、確率論の創始者の一人でもあります。
この議論は、神の存在証明ではありません。 パスカルは冒頭で、理性では神の有無は決められないと認めています。証明を諦めたうえで、それでも決めなければならないと言う。
賭けないという選択肢はない。 あなたはすでに船に乗っていて、どちらかを選ばざるを得ない。それが彼の出発点です。
そして期待値の計算を持ち込みます。無限の利得に、どれだけ小さくてもゼロでない確率を掛ければ、答えは無限になる。 有限の損失とは比べものになりません。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
筋道に従う。無限と有限を比べれば、賭けるほうが明らかに得だ。パスカルの論法です。損得で信仰を選ぶという結論がどれだけ据わりの悪いものでも、前提と計算が正しいなら引き受ける。疑うべきは、気持ちが悪いと感じる直観のほうだ、と。
定義を疑う。得だから信じる、というのは信じたことにならない。最も本質的な反論です。ここで問われているのは神の有無ではなく、信じるという言葉が何を指すかのほうです。
計算で確かめる。どの神を選ぶかで無限の中身が変わり、計算が成り立たない。多神問題と呼ばれます。実際に計算してみると、無限の報酬を約束する宗教が複数あるかぎり期待値はどれも無限で、比較になりません。パスカルの土俵に乗ったまま、その土俵を壊す反論です。
人の側の限界とする。無限を数として扱えるのかが怪しい。無限は、人が計算に載せられる大きさではないという疑いです。有限の量と同じように掛けたり比べたりできないなら、期待値という道具のほうが先に届かなくなっています。
パスカルは、この反論を知っていました
信じようと思っても信じられないという反論に、彼は答えを用意しています。
彼の助言は意外に実践的です。まず、信じている人と同じようにふるまいなさい。 儀式に参加し、習慣を共にする。そうすれば、やがて自然に信じるようになる。
これは冷笑的に読むこともできますが、アリストテレスの徳論と同じ構造でもあります。正しい行いを繰り返すことで正しい人になる。
行いが先、心があとから追いつく。 認知的不協和の実験が示したのも、同じ方向でした。
決断理論の出発点でもあります
パスカルの賭けは、神学の議論として有名ですが、確率と価値をかけ合わせて選択を評価するという方法を初めて使った例の一つです。
いまの決断理論、保険、投資判断は、すべてこの形をしています。期待値で比べる。
そしてパスカルが直面した困難も、そのまま残っています。確率が分からないとき、無限が絡むとき、選択肢が数え切れないとき。 期待値の計算は簡単に壊れます。
いま、この問いが出てくる場所
起きる確率は低いが、起きれば取り返しがつかない。気候変動や巨大災害の議論は、この形をしています。
確率が小さくても、損失が極端に大きいなら備えるべきだ。パスカルの論法そのものです。
そして同じ反論も返ってきます。そう言い出せば、あらゆる破滅シナリオに備えなければならなくなる。 無限を持ち出す議論の危うさは、350年変わっていません。