つなぐと、望んだとおりの経験が一生続く機械があります。つないでいるあいだ、それが機械の中の出来事だとは分かりません。 外の世界では、あなたの体は眠ったままです。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
つなぐと、望んだとおりの経験が一生続く機械があります。つないでいる間、それが機械の中の出来事だとは分かりません。外の世界では、あなたの体は眠ったままです。
つなぎますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この問いを作った人
ロバート・ノージックが1974年に出しました。狙いは快楽主義への反論です。
もし人生の目的が快い経験を増やすことなら、機械につながない理由はありません。機械の中のほうが、確実に多くの快が得られます。
ところが、多くの人が断ります。ならば、私たちは快い経験だけを求めているのではない。 これがノージックの論証です。
彼は、人が機械を断る理由を3つ挙げました。実際に何かをしたいこと。ある種の人間でありたいこと。人が作ったものより深い現実に触れたいこと。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
感じたことで決める。感じるものが同じなら、中で起きたか外で起きたかは関係ない。ベンサムの快楽計算を貫くとここに着きます。快は快であり、出どころは問わない。
実際に起きたかで決める。実際に起きていないことは、起きたことにならない。ノージックの立場です。成し遂げたと感じることと、成し遂げたことは違う。
本人が決める。自分で選んだ結果でないものは、自分の人生ではない。ミルの自己決定に近く、筋書きが用意されていること自体を問題にします。
何に使うかで決める。何のために生きるかによる。そこが決まれば選べる。問いの前に置くべきものがあるという答えです。
エピクロスなら、断ったかもしれません
快楽主義の元祖とされるエピクロスですが、彼が説いた快は、刺激の多さではありませんでした。
心が乱されない状態を最高の快と考え、そのために欲望を減らし、友人と静かに暮らすことを勧めました。望んだものが全部手に入る機械は、彼の理想とはかなり違います。
快楽主義という言葉から連想されるものと、実際の主張がずれている例です。
反論もあります
近年、この思考実験には強い批判があります。人が機械を断るのは、いまの生活を手放したくないからではないか、というものです。
実験を裏返してみます。あなたはすでに機械の中にいて、これが偽物だと告げられた。外に出ますか。 こう聞かれると、出ないと答える人が増えます。
だとすれば、断る理由は「現実が大事だから」ではなく、いまある状態を保ちたいからかもしれません。人には現状を維持したがる強い傾向があります。
いま、この問いが出てくる場所
没入型の娯楽は、この方向へ進み続けています。快い経験を安く大量に供給する仕組みが、すでに手のひらにあります。
ノージックが言いたかったのは、それが悪いということではありません。快の量だけを目安にすると、人生の目的を測り損ねるということです。
つながないと答えた人は、次に裏返しの問いを自分に当ててみてください。すでに中にいると告げられたら、外に出るか。 出ると答えたときにだけ、守っているのは快以外の何かだと言えます。それが何かを言葉にできるかどうかが、この問いの続きです。