フィロソフィーマップ

無用の用:役に立たないから、この木は生き延びました

材木にも道具にもならない木だけが、切られずに大木になった。役に立つとは、誰にとってのことなのか。

大きな木があります。幹は曲がりくねり、枝は節だらけで、材木にも道具にもなりません。 木こりは誰も見向きもしません。

そのおかげでこの木だけが切られずに、大木になりました。

まずは選んでみてください。

まず、選んでみる

大きな木があります。幹は曲がりくねり、枝は節だらけで、材木にも道具にもなりません。木こりは誰も見向きもしません。そのおかげでこの木だけが切られずに、大木になりました。

この木は、役に立たない木ですか。

正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。

この話を書いた人

荘子です。彼は同じ主題を、いくつもの形で繰り返し書いています。

ある話では、大工が弟子と旅の途中で巨木を見かけます。弟子が感心すると、大工は言います。あれは役立たずの木だ。船にすれば沈み、棺にすればすぐ腐り、器にすればすぐ壊れる。だから長生きしたのだ。

その夜、木が大工の夢に出てきて言い返します。お前は私を役立たずと言うが、実のなる木を見ろ。実がなるから枝を折られ、寿命を全うできない。役に立つことこそが命を削っている。

4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている

起きたことで決める。使えないものは、使えない。素直な答えで、これを否定するのは簡単ではありません。

何に使うかで決める。木陰を作り、人を休ませている。役立たずではなく、別の役に立っているという読み方です。ただしこれは、荘子の言いたかったこととは少しずれます。

それ自体で価値がある。役に立つかどうかで見ること自体が、間違っている。荘子に最も近い答えです。彼が崩そうとしたのは、有用性という物差しそのものでした。

決めない。何の役に立つかは、使う人によって変わる。役に立つかどうかを、その場ごとに開いたままにしておく答えです。木こりには無用でも、木陰を探す人には有用になる。決めないのは怠慢ではなく、決めた瞬間に見えなくなるものがあるからです。

「無用の用」には、二段ある

この言葉は、よく「一見無駄なものが実は役に立つ」という意味で使われます。出典の字句どおりなら、たしかにそう読めます。 無用のものにも、実は用がある、と。

ですがこの読み方だと、結局は有用性で価値を測っていることになります。物差しは変わっていない。

荘子が示したのは、有用かどうかという問いの立て方自体が、対象を切り刻むということでした。木を材木として見る目には、木そのものは映っていません。

人に当てはめると、痛いところを突きます

役に立つ人でいなければならない、という圧力は強い。能力、生産性、貢献。 どれも有用性の言葉です。

荘子の指摘はこうです。役に立つ木は、役に立つがゆえに早く切られる。 有用性で自分を支えると、有用でなくなった瞬間に足場が消えます。

そして誰でも、いつかは有用でなくなります。病気、老い、時代の変化。

役に立つことを価値の全部にしないでおくこと。 それが、この話の実践的な部分です。

いま、この問いが出てくる場所

生産性で人を測る言い方は、繰り返し議論を呼びます。そのたびに問われるのは、役に立たない人に価値はないのか、という点です。

荘子の答えは、役に立たない人にも価値があると言うことではありません。価値を有用性で測るという枠組みから、降りることです。

降りられるかどうかは別として、降りるという選択肢があると知っておくことには、意味があります。

関連する哲学者

関連する思想

関連する問い