立派な人の子が、必ずしも立派に育つとはかぎりません。ソクラテスは、当時のアテネで最も優れた政治家たちの子が、父ほどにはならなかったことを指摘しました。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
立派な人の子が、必ずしも立派に育つとはかぎりません。ソクラテスは、当時のアテネで最も優れた政治家たちの子が、父ほどにはならなかったことを指摘しました。
徳は、教えられますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
この問いを立てた人
プラトンが『メノン』で扱っています。冒頭からいきなり、メノンがソクラテスに問います。徳は教えられるものか。
ソクラテスの返しが有名です。教えられるかどうかを論じる前に、徳とは何かを知らなければならない。 何であるか知らないものについて、それがどうであるかは言えない。
そして議論は、徳の定義探しへ向かい、最後まで答えは出ません。プラトンの初期の対話篇には、こうして答えを出さずに終わるものが多くあります。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
定義を疑う。知識と同じで、学べば身につく。ソクラテスが検討した路線です。徳が知識なら教えられる。ただし、なら優れた人の子がそうならない理由が説明できません。
人柄で決まる。頭で分かることと、身につくことは違う。プラトンは『メノン』の最後で、徳は教えられるものではなく授かるものらしい、と結びました。 徳の教師がどこにも見当たらないことが、その根拠です。
状況で決まる。言葉でなく、日々の習慣を通してだ。アリストテレスの答えです。人は正しい行いを繰り返すことで正しい人になる、と彼は書きました。順序が逆に見えますが、そこが要点です。
決めない。何をもって身についたと言えるのかが、はっきりしない。問いを閉じない答えです。身についたと言える状態を先に決めていないので、教えられたかどうかも判定できません。
「行いが先、性格があと」
アリストテレスの答えで面白いのは、順序です。
私たちはふつう、正しい人だから正しく行う、と考えます。彼は逆に言いました。正しく行うことを繰り返すから、正しい人になる。
大工になるのは家を建てることによってであり、竪琴の名手になるのは竪琴を弾くことによってである。徳も同じで、実践の積み重ねが性格を作る。
これは実務的な答えです。立派になってから行うのではなく、行いから始める。
孔子も、同じ方向を向いています
孔子の教育も、抽象的な教義よりも日々のふるまいに重心があります。
礼を身につけること。目上への態度、言葉づかい、姿勢。外側の形から入って、内側を整える。
これは形式主義のように見えて、アリストテレスと同じ発想です。心構えを説くより、繰り返す形を与えるほうが確実に効く。
ギリシャと中国で、同じ結論に別々に着いています。
いま、この問いが出てくる場所
道徳教育がうまくいかないという話は、繰り返し出てきます。授業で正しさを教えても、行動が変わらない。
アリストテレスと孔子の答えからすると、それは当然です。徳は科目ではなく、習慣だからです。
そして習慣は、何を毎日やるかで決まります。教室で何を語るかより、学校がどういう場所であるかのほうが効く。 2300年前の答えは、いまも有効です。