あなたと、もう一人が崖からぶら下がっています。あなたが上、相手が下です。綱は二人ぶんの重さに耐えられず、まもなく切れます。
下の一人を切り離せば、あなたは助かります。何もしなければ、二人とも落ちます。
まずは選んでみてください。
まず、選んでみる
あなたと、もう1人が崖からぶら下がっています。あなたが上、相手が下です。綱は2人ぶんの重さに耐えられず、まもなく切れます。下の1人を切り離せば、あなたは助かります。何もしなければ、2人とも落ちます。
切り離しますか。
正解はありません。選ぶと、その答えがどの前提に乗っているかが出ます。
トロッコ問題と、決定的に違うところ
トロッコ問題では、あなたは第三者でした。通りかかってレバーの前に立つだけで、どちらを選んでも自分は無事です。
今回は違います。あなた自身が当事者です。 切らなければ、あなたも死にます。
この違いが効きます。第三者として1人を犠牲にするのは自己犠牲を伴いませんが、ここでは自分が助かるために相手を落とすことになります。
同時に、切らないことも奇妙です。二人とも死ぬほうが良いという答えを、正当化するのは簡単ではありません。
4つの答えは、それぞれ別の哲学に立っている
数で決める。何もしなければ2人とも失われる。1人でも助かるほうがよい。功利主義の答えで、この場面ではかなり強く働きます。犠牲になる人は、どのみち助からないからです。
手を下さない。自分が切れば、1人を落としたのは自分になる。綱が切れて落ちるのと、切って落とすのは違う。 結果が同じでも、通り道が違えば別のこととして扱います。
本人が決める。切り離すかどうかを、下の相手に伝えて決めてもらう。実際の遭難では、この余地がありません。 登山史に残る有名な切断は、上の登攀者が宙吊りの相棒の綱を切った例のほうで、下の相手に伝えて決めてもらう時間は、たいてい残っていません。
決めない。判断する材料が足りない。時間が無いのに材料も無いという、この状況の本質を突いています。
実際に起きた事件があります
1884年、遭難した船の乗組員が、生き延びるために少年を殺して食べた事件がありました。イギリスの裁判で有罪となり、緊急避難は殺人を正当化しないという判例になりました。
判決の理屈はこうです。自分の命を守るために他人の命を奪うことを認めれば、誰が生き残るかを誰が決めるのかという問いに答えられない。 強い者が弱い者を選ぶだけになる。
法は、数の計算を採りませんでした。
それでも、切った人を責められるか
この問いが重いのは、理屈と、実際に人を裁くことが別だからです。
法は切ってはいけないと言います。ですが、切った人を厳しく罰することには、多くの人がためらいます。前述の事件でも、死刑判決のあと恩赦が与えられ、実際の服役は半年でした。
やってはいけないと決めることと、やった人をどう扱うかは、分けて考えられる。 この分離は、極限状況の倫理では繰り返し使われます。
いま、この問いが出てくる場所
救命ボートの定員、災害時の搬送順、限られた医療資源。全員は助からないと分かっている場面で、誰かが決めなければなりません。
そこで効くのは、その場の判断ではなく、先に決めておいた基準です。トリアージの手順が事前に定められているのは、崖の上で考えなくて済むようにするためです。