入門編 · もう一つの声 · 第40章
孟子と荀子:性善か性悪か
紀元前4世紀、戦国の只中。馬車を連ねて諸侯のあいだを巡り、王たちに「仁政を行えば天下は自ずから帰す」と説いて回った一人の儒者がいました。孟子です。同じ時代の少し後、斉の稷下学宮で諸学派の喧騒を聞きながら、人間とはもっと厄介な存在ではないかと書きつけた人物がいました。荀子です。
孟子:性善説と四端の心
孟子の議論はある思考実験から始まります。井戸に落ちかかった幼児を見たとき、誰もが思わず手を伸ばすのではないか。その瞬間、子の親に取り入ろうとか、村人に褒められようといった計算は働いていません。ただ忍びがたいという心が動く。これこそが人の本性の証拠だ、と孟子は言いました。
この惻隠の心、羞悪の心、辞譲の心、是非の心。四つの萌芽が誰の胸にも宿っており、それぞれが仁・義・礼・智へと育つ種子になります。性善説は人間を聖人として称えるのではなく、種子は確かにあるのだから、適切に育てれば誰もが徳を実現できると主張する、教育と修養への楽観的な信頼でした。
仁政と民本:孟子の政治思想
孟子の性善説は政治論と直結していました。民は最も貴く、社稷これに次ぎ、君は軽し。為政者が民の生活を顧みず暴政を敷くなら、もはやそれは君主ではなく一介の匹夫であり、放伐されてもやむを得ません。革命を肯定するこの易姓革命思想は、後の東アジア政治思想に途方もない影響を与えました。
仁政とは、民が安心して農を営み、老人を養い、子を育てられる物質的基盤をまず整えることだと孟子は説きました。恒産なくして恒心なし。生活が破綻している人間に道徳を求めるのは無理だ、というこの徹底した現実感覚は、性善説をただの理想論に堕さない強靭さを与えています。徳の政治は飢えた腹の上には立たない、と彼は知っていました。
荀子:性悪説と礼による人間形成
一方の荀子は、孟子のおよそ百年後に登場し、その性善論を真っ向から斥けます。人の性は悪、その善なる者は偽なり。生まれたままの人間は欲望のままに奪い合い、争乱を生む。だからこそ聖人は礼義法度を作り、教育と制度によって人間を作り変えてきたのだ、と。
ここでいう偽は嘘ではなく、人為のことです。性悪説は人間を見下すための思想ではなく、人間の善は努力と社会化の所産だと見抜いた、冷徹で誠実な人間観でした。荀子の弟子からは韓非子や李斯といった法家の主導者が出て、この思想は後の秦帝国の統治術へと流れ込みます。
性善・性悪が問いかけるもの
性善か性悪か。一見すると単純な二者択一ですが、両者が対立しているのは人間観そのものではなく、徳が立ち上がる場所のとらえ方です。孟子は内なる種子を信じ、荀子は外なる制度の力を信じた。教育とは何か、しつけとは何か、社会の秩序はどこから来るのか。私たちが日々無意識に前提しているものが、ここで言葉にされています。
現代の発達心理学や行動経済学が再発見しつつある問題、つまり利他性は生得的か学習されたものかという論争は、二千年以上前にすでにこの二人によって正面から戦わされていたのです。次章では儒家とまったく異なる方向から世界を眺めた人々、自然と道に身を任せた老子と荘子の世界に踏み込みます。
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